今日はパパの死んだ日。

父の仕事部屋に潜り込み、本棚の奥に隠したアルバムを引っ張り出した。表紙が古ぼけたアルバムは重かったが、落とす事のないようにしっかりと持ち、部屋の中央にあるソファーに踵を乗り上げて座った。

アルバムを開く。どのページにも、その頃のパパの写真で溢れていた。一枚一枚、時間をかけて眺めた。写真のピントは合っているのに、被写体の視線はレンズにない。どの写真も隠し撮りされたものだった。

私の父と言うのは、よく言えば徹底的な完全主義者、悪く言えば偏執狂だった。パパの写真からもそれがよく分かる。

「エル?ここですか?」

くたびれたジーンズのポケットに手を突っ込んだ猫背の男が部屋に入ってきた。父だった。ぺたぺたと踵を引き摺って私の座るソファーに来る。

傍にきた父が不機嫌なのが分かった。隠しておいたパパのアルバムを引っ張り出したからだ。父が身を屈めて、膝の上に広げたアルバムを覗き込んだ。父の瞳が変化する。ただ独りの人のために予約された柔らかな視線。白い蜘蛛の様な手が伸びてきて、一枚の写真に触れた。

青年になる直前の、だが、まだ少年らしさを失っていないコート姿のパパ。マフラーが風に靡き、寒さに首をすくめた写真だった。ゆっくりと、愛しげに指先が写真の中のパパを撫でた。

残念な事に、私にはパパの遺伝子が受け継がれていない。

どこからか持ってきた卵子を父の精子で受精させ、私が誕生した。けれど、親は誰かと言うと、真っ先に私はパパを挙げる。パパは全く繋がりのない私を愛してくれた。

けれど、幼児から成長するにつれ、私がパパに抱く感情が親子のものから姿を変えた。そして、それを理解すると同時に、もう一つの事も理解した。パパが私を息子として慈しんでいると知っているから、父はパパに懸想する私を傍に置く事を許している。

父の指がぱたりとアルバムを閉じ、私の膝から取り上げた。奪われたアルバムを視線で追った。アルバムを持った父は、重厚なデザインの机の引き出しに仕舞って、鍵をかけた。

銜えていた親指を噛む。パパは父のものだと、それを機会がある毎に嫌と言う程知らされたが、それでも彼は私の親でもある。それはパパ自身が望んだことだから、父でも否定は出来ない。だから、私が親の写真を見たくて何が悪いと言うのだ。

「月くんが待っています。行きましょう」

私が後を付いていくのも確認せず、父はさっさと部屋を出て廊下を歩き始めていた。父と私の身長差は歴然で、父の歩みに付いて行くには、私は小走りしなくてはいけなかった。

父付きの執事兼秘書の老人、ワタリが扉を開けて待っていた車に乗り込む頃には、私は軽く息が上がっていた。

シートに沈み息を整えていた私に、隣に座る父から香りが届いた。甘くしみ透るような香り。

車に乗り込んだ時、ワタリに渡された薔薇の花束だった。毎年、パパの誕生日に用意されるそれ。ダーズンローズの話になぞられて、花束は12本。単一の品種の時もあれば、複数の品種を混ぜた時もある。それでも、必ず本数は12本。

薔薇には、一輪ごとに意味がある。

『永遠、真実、栄光、感謝、努力、情熱、希望、尊敬、幸福、信頼、誠実、愛情』

それぞれ意味を持つ薔薇を一輪ずつ、今でもパパに捧げる。

車が止まった。目的地に着いたのだ。ワタリが開ける前に車から飛び出した。

パパはきっと私が用意した誕生花の花束を喜んでくれる。それを知っていたが、それでも父が渡す前に渡したかった。駆け出そうとした私の首が絞まった。先に進めない苛立ちのまま振り返ると、私のシャツの首を掴んだ父がいた。

「迷子になります」

隙があれば駆け出そうとしたが、その度ごとに父に阻まれた。仕舞いには、父と手を繋ぐ始末。

「L!」

私たちの先を歩いていた2人組の男が振り返り、父の名前を呼んだ。

「メロ、マット。あなた達も来たのですか…」

「久しぶりです。Lと小さいエル」

「…小さいは余計です」

「仕方ないだろ。同じ音なんだから」

私の頭を突付いてくるメロの指を避けた。生意気!と良く分からない事を言って、メロはさらに突付いて来る。一回は一回なので、メロの膝に蹴りを入れた。

「何時までも子供ですね」

同じレベルなので仕方がないかもしれませんが、と馬鹿にした声が続いた。

「ニア!」

「よく来ましたね…」

「まぁ、こんな日ですから」

くるくるとニアが指に髪を絡める。

「月くんも喜びます」

「そうだと、いいですが」

一緒に歩き始めた私達が目的の建物に入る。いつもなら躾の行き届いた給仕たちが歩き回っている店も、貸切の今日は必要最低限の人数しかいない。

オーナーの案内で、奥の部屋に向かった。私達が扉を潜ると、テーブルに独り座っていた人が立ち上がり、笑顔で出迎える。

「遅かったね」

私は父の手を振り払い、パパの元に駆け出した。彼の脚に抱きつき、腿に顔を埋める。エルと優しく心地よい声が振ってきて、髪を撫でられた。その手にうっとりしていると、体がすっと持ち上がり、パパの琥珀色の瞳を覗き込んでいた。

「Happy Birthday、パパ」

手に持っていた花束を差し出した。パパが私を片手に抱き直し、満面の笑顔で花束を受け取ってくれた。

花束に形のいい鼻を近づけ、香りを嗅ぐ。

「きれいな花束。それにいい香りだ。ありがとう、エル」

「パパに喜んで頂けて、私も嬉しいです」

「月くん」

私とパパの時間を邪魔する父がやってきた。悔しい事に、パパは私を床に下ろした。

冷やかす外野を余所に、父がパパに一輪ずつ薔薇を渡す。12本全て受け取ったパパが、最後の一本を父に渡した。

そして、パパと父、二人の間に立っていた私の上に影が降りた。

今日はキラとして出逢ったパパが、父にキラを殺され、月として生まれ直した日。

Happy Birthday、月。

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