Title :No Day But Today(1/2)
Author:ちきー
Series:Death Note
Rating:NC-17
Category:Angst,Drama,AU
Character:月、L、ステファン、オリジナルキャラクター
Warning:slash、Violence、OOC-ness
Archive:Yes
Disclaimer:
ここに登場しているキャラクターの著作権はすべて集英社及び、小畑、大場両先生にあります。作者は楽しみたいだけであり、著作権を侵害するものではありません。また、この作品で利益を得るものでもありません。
Summary:

乳白色の中で黄色が広がる。

粘度を持っているから、広がるスピードはひどくゆっくりしていた。黄色は袋の中に広がり続け、この分だと全部割れてしまったかもしれない。こんな深夜とも言ってもいい時間、近くだからと車を断ってせっかく出かけたのに無駄になってしまった。

けほっと咳き込む。その振動で体が痛い。それに、さっきから呼吸がおかしい。吸って吐くだけの行為なのにひどく苦しい。

いつもとは違う視界の中では、卵がまだビニールの中で広がり続けている。アイツがねだったケーキを作れる分だけでも残っていないかな。

置かれた現状から、かけ離れた事をぼんやりと思っていたら、激しく咳き込んだ。止まらない。肺に酸素が入らない。視点もゆらゆらと揺れて定まらない。頭の下からアスファルトに赤が広がっていくのを見た。

急速に遠のく意識の中で、やけにはっきりと足音を聞いた。助けを求めたいのに、舌が重くて動かない。頭を上げる事も出来ない。

足音が止まり、見下ろされている気配が伝わる。僕はもう足音の持ち主が確認できない。だけど、あなたが誰だろうと構わない。

どうかお願いです。

きっとソファーの上で身体を揺らしてケーキを待ちわびている、幼稚で負けず嫌いでいつも喧嘩ばかりだけど、それでも愛しい男に、僕の帰りが遅くなるって、どうか伝えてくれませんか?

*** *** *** *** ***

キーを回した。すぐにエンジンの回転が止まる。車内は暗く、沈黙が満ちた。

車のシートに沈んでいた身体を起こす。意味もなくステアリングを辿る指。敷地を区切る金網越しに見たストリートは、夜を寄せ付けないように明るい。若いカップルが腕を組んで歩いている。男が何か冗談を言ったのか、女が大きな声で笑う。自分がいるところにまで、その声は聞こえた。

無意識にポケットを探ろうとした指に気づき、ステアリングに指を戻した。伝わる革の硬い感触。

こんな時だ。煙草が欲しくなるのは。チェーンスモーカーではないが、気晴らしに吸っていた煙草もアカデミーに入る時にきっぱりと止めた。それでも、どうしようもなく欲しくなる時がある。

ステアリングに置いた手の上に、額を降ろした。自分がすべき事は分かっている。車を出て、借りた部屋に戻る。そうすれば、後は即興で。何も悩む事は無い。抱いた感情を隠すなど、私の仕事ではごく基本な事だった。

車のドアを開け、ひんやりとした外気の中に出る。駐車場から見上げた部屋には灯りが灯っている。そこにはずっと捜し求めていた彼がいる。あまりにも求めすぎて、彼が点けた部屋の灯りさえ愛しいと思う。部屋に向かう足取りは軽くなっていた。

「ただいま」

部屋に入ると、暖かい空気、料理の良い匂いが私を出迎えた。借りた部屋はモーテルでも上等な部類で、ほとんどコンドミニアムと言っていいレベルの部屋だったが、それでも備え付けられたキッチンは簡素なもので、何か作るとしたらコーヒーだけだと思っていた。それなのに、外食やテイクアウトばかりは栄養が偏ると、時間がある時はこうして料理を作ってくれる。

「お帰り」

キッチンの前に立っていた男が振り返る。テーブルに抱えていた袋を置く。頼まれていたものを取り出して、彼に渡した。

「いい匂いだな」

肩越しで覗き込んだ鍋の中では、数日前に私の好物だと話した料理が煮えていた。

「僕はこのくらいしか出来ないから…」

そう言って、はにかんで笑う。ほとんど同じ位置にある茶色の髪を撫でた。その仕草が気恥ずかしいのか、私の手から逃れようとした。それを追う。幼い子供がするようなじゃれ合いに、自然と顔が綻んでいた。付き合った恋人がいなかったわけではないが、仕事の忙しさで結末はいつも一緒。自分以外の存在は久しぶりだった。

椅子に座り、彼が狭いキッチンを動き回るのを見た。動きがぎこちない。

無理はない。交通事故にあったばかりだった。幸いなことに骨を折るなどの怪我はなく、外傷と言えば捻挫と肋骨にひびが入ったこと。しばらくコルセットで拘束される日々が続いた。

外傷はそのくらいだが、大きな問題が別にあった。彼はこれまでの人生の記憶を失っていた。日々の生活に支障はないが、自分が誰なのか、両親がどんな顔をしているかすら覚えていなかった。目覚めた時、彼は私が分からなかった。

以前、人から譲り受けた彼の写真を見せたが、記憶が戻ったような素振りはない。

記憶が戻る様子がなく落ち込んでいた彼を、コルセットが外れた祝いにと旅行に連れ出した。私自身、カウンセラーに長期の休暇を取る様、忠告されていたのでちょうど良かった。

記憶を失ってしまって本当に残念だが、私はライトを連れて行きたい場所があった。

*** *** *** *** ***

額にかかる髪を払う手。

私が眠っているのが余程珍しいのか、彼が先に起きた時はこうして小さな戯れを仕掛けてきた。髪を払われ眉のない顔を晒すと何が可笑しいのか、いつも彼は笑った。くすくすと軽やかな笑い。頬に彼の吐息が触れた。眠った振りを続ける私の口元が思わず緩んだ。

こんなにも穏やかな時間が自分に訪れるなんて思っていなかった。

「月くん」

目を閉じたまま呼びかける。

なぁに?と、返される彼の言葉を待った。だが、いくら待っても返事はない。

目を閉じたまま、手を伸ばした。だが、その手に触れるはずの存在がない。指先に触れたのは、冷たいシーツの感触。

冷水を浴びた様に、一気に現実へ引き戻された。跳ね起き、隣を振り返る。

「月くん…」

そこには誰もいなかった。広すぎるベッドには私一人だけがいた。

再び私に突きつけられた現実。顔を月の枕に埋めた。まだそこには彼の匂いがうっすらと残っている。なのに、彼自身は私から奪われた。

嘆きは枕に吸い取られた。

*** *** *** *** ***

車を郊外に走らせた。あの日から通い慣れた道になってしまった。これから訪れる地名を話しても、ライトの記憶を揺り動かすものではなく、彼は戸惑いがちに頷いただけだった。

助手席で流れる風景を眺めていたライトが溜息を漏らす。

「何か覚えていたものはあったか?」

「何も…。僕が住んでいた街もこんな風景だったかもしれないと思って見ていたけど、何も思い出せない。…ねぇ、記憶を失ったからと言って、育った国を忘れるものかな?」

「記憶喪失にも色々あるらしいからな。全ての記憶を失う場合もあれば、思い出せる記憶とそうでない記憶が混在することもあるそうだ。どちらにせよ、次第に戻ってくる。大丈夫だ、ライト。私がお前の記憶を戻させるから…」

記憶を失った月を引き取った。彼は社会的なことは覚えているが、自分に関する事を思い出せない状態に陥っていた。私はライトに国籍はアメリカだが、育ちは国外であること。彼とは直接の血の繋がりはないが、友人を通じてライトの事を知っていると伝えた。

当初、ライトとはそれだけの関係しかない私に、ライトの事を任せていいものかと危ぶんだ医者達も、私の身分が確かめられたことでライトの身柄を快く預けた。もっとも、快くと言うのは、身分の保証がないライトをそれなりにまともな職についている私へ厄介払いが出来たことと、そして、高額な医療費を私が支払ったためだ。

「今日はどこに行くの?」

「友人の家に行こうと思ってる。観光じゃなくて悪いな、ライト」

「それは構わないけど…、僕が一緒でいいの?ステファンが友達に会っている間、どこかで時間を潰そうか?」

「いや、一緒に来てくれ」

弾いた様に返した私の返事に、ライトが居心地悪げにシートに座り直した。自分は大丈夫だと思っていたが、それなりに緊張しているのかもしれない。ずれたサングラスを直した。

車内に満ちた気まずさに、ライトは罪のない話題で会話に私を引き込もうとするが、単語だけしか返さない私に諦めたようだ。今は、車内に会話はなく、ただラジオから流れる音楽だけがあった。

ドライブと言うには親しみのない道中を経て、辿り着いたのは似たような家の建ち並ぶストリート。その一角に立つ茶色の屋根を持つ家だった。玄関に続くポーチの芝生は刈られたばかりなのか青臭い匂いを漂わせていた。

車から出てポーチを辿る。背後ではライトが慌てて私を追っていた。今の住宅には使われない古いタイプの呼び鈴を押す。家の中で鐘が響くのが聞こえた。

ややして初老の女性が出てきた。私の顔を認めると、老いた顔に笑顔を乗せ抱き締められた。私も小さな体を軽くハグをする。記憶にあった姿よりも、また一人回り小さくなったようだ。

「元気だった、ステファン?」

「えぇ。あなたもお変わりはなく?」

「こんなおばあちゃんだもの。毎日少しずつ老いてますよ」

そう言って、ころころと笑った。老いていると言うが、東洋人の血が混ざっている所為か、彼女の年齢よりも外見はずいぶんと若く見えた。

「こちらは?」

彼女の視線が後に控えていたライトに流れる。それに気づいたライトが頭を下げた。顔を上げたライトは、なぜ自分がそんな動作をしたのか戸惑っていた。

「まぁ、日本の方ね?懐かしいわ」

同郷に会えた嬉しさで満ちた声にライトは曖昧に頷いた。手招かれるまま彼女に近づくと、老いて細くなった腕に抱き締められていた。それを苦い思いで見る。喉から出そうになる叫びを、体の脇で拳を作ることで押し止めた。

「どうぞ入って」

ライトをハグから解き、彼女は家に私たちを招いた。昼を過ぎた廊下は薄暗かった。それでも、壁に家族写真が飾られているのが分かる。それぞれの末路を知らずに、写真の中の子どもと若い両親は笑っていた。

リビングに通され、ライトはソファーに腰を下ろした。所在なさげに幾度も座りなおす。無理もないだろう。私にとっては親しい友人の実家だが、ライトには誰の家なのかすら知らないのだから。落ち着かずに部屋に視線を彷徨わせるライトの姿が滑稽だった。

棚の上に飾られた写真を眺める。そこに飾られているのは、廊下の写真よりも年を経たもの。子どもは幼児から少年へ、そして青年になっていた。その中の一つを手に取った。大人になった子どもと友人たちが肩を組んで、カメラに笑顔を向けているものだった。その笑顔に曇りはない。

呼吸が詰まった。ギリギリと胸を締め付ける痛み。この痛みをあの日から感じなかった日はない。後悔と言うには強烈すぎる。

グラスを乗せたトレイを持ち、老婆が帰ってきた。

「レモネードで良かったかしら?」

「ありがとうございます」

冷えたグラスを私とライトに配った。口をつけると、既製品には無いまろやかな味がした。

「ステファンが人を連れてくるなんて始めて。もしかして、あなたが彼の新しいパートナー?」

ライトの隣に座った彼女が無邪気に尋ねた。

「いえ、僕は…」

「違います。彼はパートナーじゃない。それに、もう私に新しいパートナーは必要ないんです」

ライトの言葉を遮った。別の人間をパートナーにするなんて考えられなかった。副長官に命令だと言われても一人を通した。

そう答えた私を彼女が痛ましそうに見る。その目から視線を反らしていた。

「ステファン…。あの子の事を覚えていてくれるのは嬉しい。けれど、もう前に進まなくては…。手放さなくてはいけないのよ」

ソファーから立ち上がり私に近づいた彼女が、手にしたままだった写真を手から抜いた。

「…あなたは手放したんですか?我が子なのに?」

写真を棚に戻そうとした彼女の肩が震えた。

「すみません。言い過ぎました」

酷い失言だった。殺された我が子を忘れるはずがない。

「私はいいの。この先は長くないんだし、残されたものと言えば二人の思い出だけ。だから、私はいいの。でも、ステファン、あなたは違う。あの子が逝ったのはあなたの所為じゃない。あの子は任務中だった」

「恨んではいないのですか?」

「キラを?…そうね、たぶん憎んではいない」

「なぜ!?キラはレイを殺したんですよ?犯罪者でもないレイを!」

写真を戻した彼女はソファーに戻った。ライトの隣にレイの母が並ぶ。

「赦せていると言うのでもないの。牧師の妻なのに不謹慎かしらね。でも、生きるも死ぬるも人知の外にある。私は神の元に行ったレイと夫が安らかなことを祈っている」

彼女が失ったのは子どもだけじゃない。我が子を殺されたショックから立ち直れず、牧師だった夫は子どもの後を追うように逝った。彼女は一人残され、二人を弔って生きている。

「レイが死んだのはキラのせいで、そして間接的にあなたの夫の死もキラが関与している。それは事実です」

「キラに助けられた人もいる。犯罪者に苦しめられていた人々がね。ステファン、単純ではないの。キラがいなかったら、レイは死ぬ事はなかった。だけど、キラがいなければ救われる人もいなかった」

「ですが…」

「ステファン、もう止めましょう?それより、あなたが連れてきた方はどなた?ずいぶんとハンサムね」

そう言って話題を変え、隣に座っていたライトの膝を叩いた。

「ライトです」

「ライト?先ほどお辞儀をしたから日本人かと思ったのだけど、そうではないの?」

「…分かりません。記憶がないんです」

「事件で?」

「それも分かりません。目が覚めたら、記憶を失っていて…。名前さえも思い出せない僕をステファンが保証人になってくれたんです」

ちらりと私を見上げたライトに気づいたが、二人の会話に入っていく気にはなれなかった。正義は果たされるべきなのに。赦せているわけでもないなら、なぜキラを罵倒しないのか。なぜ、見つけたら、レイの無念を果たすと言わないのか。

レイの母がライトの頬に手を添えた。驚いたライトの目が大きく開かれた。

「大丈夫よ。あなたはこんなに真っ直ぐな人ですもの。目を見れば分かる。神もきっとあなたをお救いになってくれるでしょう。ライト、あなたの記憶が早く戻るよう祈っていますよ」

正しく物事が見えているのは自分だけなのか…。

多くの機器がスペースを占拠する部屋の中央に、場違いなほど上等なソファーが置かれていた。その前のテーブルには、集められた情報が蓄積され、主を待っている端末があった。

そして、部屋の片隅には、主を待つ老紳士が控えていた。目が覚めたのは知っていた。長く待つ必要はない。

いつもの姿で現れたLが部屋を横切り、ソファーに乗り上げた。控えていた場所から老紳士が静かに歩み出て、主の前に紅茶を注いだ。クィーンが愛飲されると言う茶の香りが昇っても、主に感慨はなかった。

以前にも増して顔色が悪く、目の下の隈は濃くなる一方だった。

「ワタリ」

「はい」

「二度とするな」

「月様がいれば同じ事をなさいました」

「彼は今いない」

ひたすらこの部屋で、Lは月を探し続けた。仮眠することもなく、まともに食事をすることもない。噛み過ぎた指には爪がなかった。

Lは集まった情報に目を通し始めた。目はディスプレイを追ったまま、紅茶と共に出された焼き菓子を鷲掴み口に放った。脳が働くための単なる補給だった。

急がなくては。

主の身を案じたワタリによって、強制的に眠りを取らされた。自分が目を閉じていた一瞬ごとに、月の苦しみが増している。Lにはそう思えて仕方がなかった。

レイの母に見送られて、家を後にした。小さくなる姿が窓から見えていた。

目的地はもう一つあった。本当は事の最後に連れてくる予定だった。だが、ライトは記憶を失い、レイの母もあの通り。せめてライトの記憶が回復するのが好ましいが、それを待つ時間はおそらくないだろう。

キラだったライトがヒグチに罪を被せ、のうのうと生きている。幾ら死の状況を操れるとしても、全世界の警察組織を操る事は出来ない。誰か協力者がいたはずだ。思い当たる人物がいるが、彼が犯罪者を見逃すとは考えにくかった。

だが、もし彼が追手となっているとしたら?自分に残された時間は僅かだろう。けれど、追いつかれる前にやり遂げる。そうでなければ、自分だけが残された意味がない。ステアリングを握る手が強くなった。

「ステファン、モーテルに戻るの?」

「いや、もう一つ行きたいところがある。付き合ってくれるだろう?」

「断る理由もないけれど、僕に選択肢があるなんて思わなかったよ」

「もしかしたら、ライトの記憶が戻るかもしれない」

「…どこに行くつもり?」

「着いてからのお楽しみだ」

ぽつりとフロントガラスに滴が落ちた。澄んでいた空が灰色に変わっていた。黒く重い雲が迫り、地面が色を変え始めていた。

雨は勢いを増し、目的地につく頃にはフロントガラスを大粒の雨が叩くまでになっていた。

「ライト、着いたぞ」

「ここって…」

先に車から降りて歩き出す。着ていたシャツがあっという間に肩から色を変えた。雨の降る音に混じって私とは別の足音が聞こえ、私は唇を歪ませた。

懐に手を入れ、重さを確かめる。こんな簡単な方法を取るつもりはないが、念のためだった。

足を止める。雨が滴る前髪から覗いた視線の先に、白い石が建てられていた。

「ステファン…」

追いついたライトが隣に立つ。吐き出す息が煙の様に白かった。石の前で私とライトが並んでいる。ようやくの対面だった。

「レイ・ペンバー?さっきの女性の子ども?」

石に刻まれた名前をライトが読み上げる。

「そう、私のパートナーだった。レイ、ようやくお前の前にキラを連れて来たよ」

*** *** ***

読み終わった雑誌をテーブルに放り出した。同じ姿勢で固まった上半身を伸ばして凝りを解す。

「っ…」

気をつけていたのに、一緒に動いてしまった足に痛みが走った。吊られてギブスで固められた足。その表面には見舞い客が思い思いに励ましのメッセージを書いていた。

「元気か?」

スーツ姿の男が顔を覗かせた。片手には茶色の紙袋が抱えられていた。

「病人に元気はないだろ?」

「病人じゃない。怪我人だ」

ベッドサイドに引き寄せた椅子に腰を下ろすと柔和に笑った。

「まったくドジを踏んだ。骨折なんて…。お前なんて庇うんじゃなかった」

「パートナーとは助け合わないと。ステファンのお陰で僕はこうして助かった。…それより、昨日彼女に言った」

「言ったって…、プロポーズか!?」

「あぁ」

「それで?ナオミの返事は?」

普段は生真面目すぎる男の顔が満面の笑みに変わった。

「ステファン。目の前にいるのは、半年後には美しくて知性溢れる女性の夫になる男だ」

「やった!良かったな、レイ!!」

「ありがとう」

身体を乗り出して、レイの肩を叩いた。打撲と診断された腕が痛いが、その痛みも今は気にならなかった。

「それで、お前の付添人は?当然、私だろ。ナオミを紹介してやったのも私だし」

「あー、悪い。付添人はフォックスに頼もうかと…」

「まさか!冗談だろ?あんなスプーキーに頼むなんて…」

「冗談だよ。僕の付添人はステファン、君しかいない。だけど、指輪は絶対に失くすなよ」

「任せとけよ。あ、先に言っておくが、いつでも名付け親は引き受けるからな?」

まだ早いよと言いつつも、レイはまんざらでもない様子だった。

アカデミーを出て以来、組んだパートナーは何人かいたが、レイほどお互いの私生活に踏み込んだパートナーはいなかった。同僚だが親友と言ってもいい程の付き合いになる。

彼の妻となるナオミはアカデミーで一緒だった。わずかな手がかりだけで解決に導く、同期の中では飛びぬけて能力が高かった。当時から一目は置いていても、くだらないプライドから親しくなるのを避けていた。だが、ある事件でレイと一緒にナオミに協力することになった。レイとナオミ、出合ったばかりの二人がお互いを気にしているのなんて直ぐに分かった。

ナオミを食事に誘えとレイにアドバイスしても、事件解決が最優先だと頑固に突っぱねた。二人がお互いを不器用に意識しているのがもどかしかった。

やっと事件が解決して、その祝いにレイとナオミを飲みに誘った。けれど、私が行かなかったその祝いは上手く行ったようで、翌日レイだけでなくナオミからも礼を言われた。

具体的なプランが出てきたのは最近だが、彼らが付き合って一年程が経ち、レイから結婚の相談を受けていた。ナオミが断るはずがないと言い続けたアドバイスがやっと昨日報われた。

「いつ彼女の両親に会うんだ?確か、両親とも日本に住んでいるんだろ?」

「その事だが…、来週から日本に捜査で行く事になった。パートナーがいない間に独りでもこなせる任務を振られたよ」

「悪かったな」

「ナオミの両親に挨拶が行けるからちょうど良かった。お前の怪我のお陰だな」

ギブスを弾いた指に大げさに痛がって見せた。笑い合う私達を、病室に入ってきたナオミが不思議そうな顔をして見ていた。ナオミの指には真新しい指輪が光っていた。

レイが手をこまねき、ナオミの頬にキスをする。それに呆れた顔を作って見せた。

私自身の恋愛はレイほど幸運に恵まれなかった。いつまでも仲睦まじい二人を羨ましいと思う時もあった。けれど、結婚し家族が増え、そうしてこの二人ならずっと続く幸せな未来が、今はただ嬉しかった。

いつか自分も妻を娶り、レイとナオミの家族と一緒に人生を歩む事を疑っていなかった。

「どうして、お前が生きてるんだろうな?」

「え?」

「二人が死んで、何故キラが生き伸びてる?可笑しくないか?」

ゆっくりとライトを振り返った。すっかり濡れた服で体温が奪われ、肌は血の気が引き、唇は色を失っていた。じゃりっと、ライトへ一歩踏み出す。突然の私の言葉にライトは言葉を失っていた。もう一歩踏み出した私に、警戒したライトが一歩下がる。

「何を言って…」

「レイとナオミは結婚して、ずっと幸せに暮らすはずだった。私はそれをずっと見守るはずだった。二人ともかけがいのない友人で、お前が殺していい人間じゃなかった」

ナオミとレイ、二人が残した手がかりから、キラは世界に差し出されたヒグチではなくライトだと突き止めた。二人とも自分自身に降りかかっている危険が分かっていた。キラに関われば即死。それが分かっていたから、捜査に関する細かいメモを残していた。誰を尾行していたか、何を調べていたか。

FBI捜査官として犯人を憎むのとは全く異なった、一人の人間としての憎悪は押さえられなくなった。蓋をしても蓋をしても溢れ出す。

「レイの葬儀は、質素なものだった。任務中に命を落としたと言うのに、FBIから参列は私だけ。早々に日本から手を引いたFBIは、キラの不興を招く様な事は出来なかった。まるでレイの方が犯罪者のようだったよ」

訓練されていない一般人の警戒などないも同然だった。軽々と首を掴み、両方の手を掛けた。

「っ…は…、ステ…ン…」

膝が折れ、墓地の土の上に崩れるライト。大量殺人者のお前に墓地なんて上等すぎる。スラムのゴミ箱でさえも、キラには上等すぎる墓場だった。

「裁かれるのはお前の方だ、キラ。誰も裁かないなら私が裁いてやる」

「僕は…キ、ラじゃ…」

寒さで色を失った頬が今は赤く色づく。首を絞める手にライトが爪を立てた。

キラの殺害方法は知っている。レイは抵抗できたか?ナオミは迫ってくる死に抗えたか?

力を込めた掌に骨の感触を感じた。

見下ろすライトの瞳が裏返る。引き剥がそうと私の腕を掴んだ手から力が抜けていく。もう少しだった。

だが、突然、肩に衝撃が走った。その衝動でライトの首を閉めた指が緩んだ。突然、気道に許された空気で咳き込むライト。もう一度と伸ばした腕にも衝撃が走る。肩から流れ落ちる雨に、赤い流れが加わった。シャツが染まっていく。

体が傾き、狭まっていく視界の中で、ジーンズにシャツ姿の男が走ってくるのが見えた。