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あの日わたしは、戦場と板一枚で隔たった小さな部屋の中で嵐の日の野うさぎのように身を丸めて、安い石鹸と玉ねぎの匂いの母のスカートに包まれていた。

ラマルク将軍の葬儀の日、母とわたしは街へは出ず、人々が熱狂して旗を振るのもバリケードの材にと窓から家具を投げ落とすのも家の中から見ていた。食卓やベッドさえ投げ落とす彼らの頭には明日からの生活などないようだった。
母とわたしは家の目の前の通りに築かれていく粗雑なバリケードを窓から眺めていたけれど、血気にはやった若者たちが期待に満ちた顔でわたしたちを見上げるのに気づくと、母は急いでわたしを部屋の奥へと追いやって窓を閉ざし扉に閂をかけた。
夕食のスープの用意を始める母のエプロンの紐に指を絡めながらわたしは、あのがらくたの山のような砦のどこかにいるはずのあの詩人さんには今晩何か食べるものはあるのかしらと考えていた。

あのころ、彼はわたしよりずっと年上だったけれど、わたしはいつもどこか彼を死んだ弟に重ねて見ていたように思う。純粋で優しくて物静かな彼はどこかいつも迷子の子どものように所在無げに世界の中にいた。

あのときわたしは9歳になったばかり。市場で野菜を売る母にくっついて街に出、母が仕事をしている間わたしも籠に花を入れて売り歩く毎日。父はわたしがものごころもつかないうちに死んだので、わたしには顔も思い出せない。みっつ年下だった弟は3年前の冬に死んでいて、母とわたしはふたりきりの家族だった。

わたしたちが出会ったのは初夏だった。学びのために地方から沢山の学生がパリへ流れ込んでくる季節だったから、花売り娘を呼び止めて道を尋ねついでに花を買ってくれる若者も多く、花籠を手にしたわたしはとても機嫌良く通りを歩いていた。

やあ、また会ったね。

彼も、何日か前にそうしてわたしを呼び止めた学生のひとりだったに違いなかったが、お得意様でもない通りすがりのお客をわたしはいちいち覚えてはいないので、古い小さなアパルトマンの戸口に座り込んで空を眺めていた若者が突然親しげに声をかけてきたときにはどうしたらよいかわからず棒立ちになった。

この前きみから買ったヒナギクを水に挿していたらね、根が生えたものだから、鉢に植えてみたんだ。もしかしたらもうひとつの蕾も開くかもしれない。
そんなことを、伏し目がちのはにかんだ笑顔でわたしに教えるためにだけ、何時間でも土がついた袖のままで戸口に腰掛け雲を眺めて待っていた彼。
呆れたわたしが口を開く前に彼はすいと立ち上がりわたしを部屋の中へと招き入れた。小さいけれど小綺麗な四角い部屋。沢山の本と鉢植えが所構わず散在していたけれど、他に物がないので不思議と散らかっているようには見えなかった。つくりを間違ったのではないかと思うくらい、部屋に不釣合いな大きな窓を指して彼はあのはにかんだ微笑を浮かべた。窓が大きいからこの部屋に決めたんだ。光が入って花も喜ぶ。

花は喜んだりかなしんだりしないでしょう。それに今はいいけれど、窓が大きすぎると夏は暑いし冬は寒いのよ。幼いわたしが分別くさく言うのに面白そうに眉を上げてわたしを見返す彼の淡い灰色の瞳に窓からの光が漲り、ほとんど透明になったそこは澄みきって瞬くたびに不思議に色を変え、まるであらゆる色の源であるかのように思えた。
この人は本当は人間ではないのかもしれない。だから花とお話ができるんだ。そんな考えがふと胸の内に湧いて、わたしは小声で尋ねた。ねえ、あなたはなあに。
彼は笑って答えた。ぼくは詩人だよ。まだなりかけだけど。それから質問の答えとは違うかもしれないけど名前はジャン・プルーヴェール。ジュアンと呼んでくれるとうれしいな。
そこではじめて、名前も知らない人の部屋の中に立っていたことに気づいて自分に驚き呆れながらも、わたしは知りあったばかりのこの詩人に自分の名を告げていた。

To be continued.