そして風が吹く荒地に、彼らはしばらくたたずんでいた。戦争はまだ終わっていなかったが、新しい希望に満ちた日々の始まりに、皆が胸を躍らせていた。
「さて、城を一から作らなきゃならないな」
ハウルが涼しげな声で言った。肩を抱かれていたソフィは、その指に力がこもったのを感じてハウルを見上げた。透き通った深い湖のような青い瞳が、ソフィをじっと見つめていた。心が戻ったハウルの瞳には、以前ときおり見せたガラスのような空虚さはなく、暖かくて重い、その中に引き込まれそうな何かが宿っているのを感じ、ソフィはその瞳を見つめ返しそっと微笑んだ。
「僕の部屋には、魔術を練習する円卓を置いて下さいねっ」
「あたしゃ日当りの一番いい部屋がいいよ。揺り椅子も忘れないどくれ」
「それじゃあオイラの暖炉は大理石で頼むぜ。薪はたっぷり1年分は積んでおいてくれよ」
マルクルと荒地の魔女とカルシファーが、それぞれの要望をまくしたて始めた。
「おいおい、そんな簡単には行かないよ。材料集めだって一苦労なんだから」
ハウルが苦笑すると、マルクルが異議を唱えた。
「でもハウルさん、前の引越しのときは魔法で一発だったじゃないですか」
「中身を変えることはいくらでもできる。でも今回はハコを作り出すんだよ。皆の力を借りなきゃ」
ハウルのその一言で、その日は新しい城に使えそうな資材を、皆で拾い集めることとなった。城が崩壊した軌跡をたどり、荒地を歩き回ること半日、日が落ちる頃には皆くたくたに疲れていたが、集めた城の残骸の瓦礫に荒地の岩や木を足した、奇妙な塊ができあがっていた。
「さがって」
皆が固唾をのんで見守る中、ハウルは瓦礫の塊を静かに見つめ、手を伸ばすと意識を集中させた。ハウルの身体全体からぼうっと青い明かりが出始め、漆黒の髪の毛がざわざわと立ち上がった。ソフィはその姿に息をのみ、鳥肌が立つのを感じながら目が釘付けになっていた。美しい、と思った。こんなに美しい人を見たことがないと。
ハウルの瞳が一瞬鋭く光ったと同時に、その指先から激しい閃光が放たれ、瓦礫の塊を直撃した。目のくらむ光と耳をつんざく騒音が沸き起こり、目の前の瓦礫が形を変え始めた。亀裂が走り、四次元の不思議な膨張と収縮を繰り返し、瓦礫の塊はやがて小さな小屋へと形を変えた。光が消え、何事もなかったかのように辺りが静まり返り、ハウルの髪の毛がゆっくりと宙を舞い降りて静止した。
「すごいや!」
マルクルが叫んで一番に小屋の扉を開けた。
小さな小屋の暖炉でソフィが料理をし、皆で食事をした。この小屋を次にどんな城に変えて行くのか、部屋のレイアウトはどうするのか、楽しい話題が絶えなかった。
質素だが暖かい料理を家族で囲む幸せを、ソフィは噛み締めていた。家族。端から見れば奇妙な集まりかもしれないが、ソフィにとって彼らはいつの間にか何にも代え難い家族になっていた。そして、愛しいハウル...。恋人...?ハウルと自分は恋人同士なのだろうか。ソフィは自問した。この数日間に起こった、サリマンとの戦いや戦火の出来事を思い返した。あまりにも色々な事が起きた。ずっと以前から、出会ったときから自分はハウルに恋をしていたのだと、今ならはっきりわかる。ただ、自分に自信がなかったし、ましてや90才になった老婆の姿を現実の物として受け止めた時、ハウルに恋をしている事実を認めたくなかったのだ。けれども、ハウルを助けようとした無我夢中の行為が、ハウルの何かを突き動かした。そして今、ソフィはハウルが自分を想ってくれていることを確信していた。ソフィは、心を取り戻したハウルとのこれからの暮らしを、そっと思い描いた。
ふと視線を感じて顔をあげると、隣に座ったハウルがソフィをじっと見つめていた。穏やかな優しい笑みを讃えながらも、何かを問いたげなハウルの視線に、ソフィは内心を見透かされたような気がしてドギマギした。
「美味しいよ。ありがとう」
テーブルの下でハウルは手を伸ばし、ソフィの膝に置いた手をそっと包んだ。
「さて、今夜の寝床を作るか」
食事の片付けが済むと、ハウルは皆に告げた。明日にはまた城の改造をするとしても、今夜はこの一部屋で皆が寝るしかなかったからだ。ハウルは軽やかに魔法を唱え、次々にソファ、簡易マットレス、毛布などを作り出した。
「わあ、キャンプみたいですね」
マルクルはしばらくはしゃいでいたが、長い1日の疲れが出たのか、まもなくそれらの一つにうずくまるとスヤスヤと寝息をたて始めた。荒地の魔女も、気づくとソファに横になって眠っていた。その下ではサリマンの使い魔犬ヒンも、尻尾を巻いてうずくまっている。カルシファーも眠っているのか、暖炉の中で小さな炎を燃やし続けているだけだ。
テーブルでお茶を飲んでいたハウルとソフィだが、静かになった部屋を見回して、ソフィはふと気がついた。横になれる場所があと一つしか残っていないことに。途端にソフィの心臓が早鐘を打ち始め、それを悟られないようにソフィは立ち上がった。
「お茶のおかわりを入れるわね」
暖炉の前に立ち、やかんをかけた炎をあてもなく見つめながら、ソフィの心は動揺していた。ハウルは自分と同じベッドで寝るつもりだろうか。それは、やはり一線を超えるということなのだろうか。いや、ハウルは別に寝床を用意するのかもしれない...。
不意に、ソフィは自分の腰に手が置かれたのを感じた。ゆっくり振り向くと、ハウルが静かにソフィを見つめて立っていた。ハウルは無言でソフィを引き寄せると、ソフィのあごに手をかけて優しく上を向かせ、その瞳をじっと見つめた。そしてゆっくりと顔を近づけ、ソフィの唇にそっと口づけをした。ハウルの唇はしっとりと柔らかく、ソフィはその心地よさに目を閉じ身を委ねた。さっきまでの動揺が、すっとどこかに引いてゆくのがわかった。ゆっくりと口づけを重ねながら、ハウルは片手をソフィの髪の毛に差し入れ、長い指でそれをもてあそんだ。ソフィは口付けに応えながら、鳥の怪物となったハウルにしたときのキスとは全く違う感覚を、感じ始めていた。
口づけは、次第に情熱的なものになって行った。ソフィはもう、これから起こるかもしれない出来事に、ためらいを感じてはいなかった。ハウルは舌をソフィのそれに絡ませ、ソフィはそれに応え、両腕をハウルの首に回してもっとそれを求めた。ハウルは一旦唇を離すとソフィの瞳を狂おしく見つめ、次にソフィの耳に口づけをした。息を吹きかけ舌でなぞり、耳たぶを甘く噛んだ。ソフィは背筋に電気が走るような感覚を受け、思わず吐息を漏らした。ハウルの口づけはソフィの耳から首筋へ移り、次第に下へと降りて行った。ソフィは、自分の身体が今までに経験した事がないくらい、熱く火照るのを感じていた。パチパチと静かに燃えるカルシファーの炎だけが、二人を照らしていた。
「ソフィ」
ハウルは尋ねるように囁き、突然ソフィを横に抱き上げた。驚くソフィに構わず、ハウルは部屋の隅にある小さなマットレスのところへ歩いて行くと、ソフィをその上に横たえた。そしてソフィの上へ自分の身体を横たえると、ソフィの両腕を自分の両腕で組み敷き、無言でソフィの顔を見下ろした。その瞳は濡れたような輝きを放ち、欲情に彩られていた。ソフィの意思を確認するかのような熱い潤んだハウルの瞳を、ソフィは息をひそめて見つめ返し、小さく頷いた。ゆっくりと、ハウルの唇がソフィの唇に重ねられ、ハウルの手がソフィの身体をまさぐり始めた。ソフィは身体の中から沸き上がる感覚に身を任せ、ゆっくりと目を閉じた。その瞬間、
「だめだよソフィ!」
突然、マルクルの叫び声が部屋に響き渡った。ソフィとハウルはその声に仰天して飛び起きた。
「その棚はいじっちゃダメって、ハウルさんに言われてるん...だから、怒られる...よ...。むにゃむにゃ」
マルクルはそう言うと、再び眠りに落ちていった。
ソフィとハウルはしばし呆然としていたが、「クスッ」とソフィが小さな笑い声をもらすと、ハウルもつられて笑い出した。
「あっはっは。マルクルにやられたな」
ハウルは声を殺して笑い続けるソフィをぎゅっと抱きしめると、耳もとで囁いた。
「今夜はおあずけだ」
静かに横になった二人を、窓から差し込む月明かりが照らしていた。ハウルはソフィを後ろから抱きしめ、髪の毛に顔をうずめた。木の床に敷かれた小さなマットレスの上で、毛布にくるまって添い寝をするうちに、ソフィの緊張はほぐれて行った。服の布地を通してではあっても伝わるハウルの暖かい身体のぬくもりに満たされながら、いつしかソフィはウトウトし始めた。
「ソフィ、愛してる」
ハウルの声が耳元で聞こえたような気がしたが、夢うつつのまま、ソフィは深い眠りに落ちて行った。
