この手に重ねて

(土方先生と沖田)

古文の中間試験が散々だった沖田は、半ば強制的に補習を受けさせられた。土方が作成した課題を延々と解くのにいい加減飽きたようだったが、土方が片手間に沖田の様子をじろりと睨むので、しぶしぶ課題を続けた。眉間に皺を寄せ、目をすがめながら採点をしている土方の様子に、沖田はふと浮かんだ疑問を口に出す。

「目、悪くなったんじゃないですか」
「好きで悪くなったんじゃねぇよ」
「ふうん」

したり顔で頷く沖田に、土方は眉根を寄せた。笑顔満面の沖田が「老眼じゃないんですか」と放った一言と同時に、土方が使っていたペンが空を切った。

*****

(土方先生と永倉先生と原田先生)

喉乾いたな。マグカップを持って立ち上がった原田に、永倉が湯飲みを「俺も」と差し出した。原田は嘆息しながらその湯飲みを受け取る。湯飲みでコーヒーを飲むなんて味が混ざるとか考えたことはないのだろうか。机の間を縫って歩くと、次の授業の予習をしていた土方と目が合った。原田が手に持った自分のマグカップと、永倉の湯飲みを軽く掲げると、土方も机の上に置かれたマグカップを手にとって原田に渡す。受け取ったマグカップが、自分のそれと重なってかちんと澄んだ音を立てる。そして気付いた。縁が欠けていたはずの、土方のそれが真新しいものに変わっている。落ち着いた黒が、鈍く光る。へぇ、と原田は思わず声を上げた。

「新しく買ったのか。物持ちがいい土方さんにしちゃ珍しい」
「あー…、ああ、まぁ」

土方が言葉を濁した真意に気付いて、原田は次に続く言葉を飲み込んだ。しかし、その様子を伺っていた永倉が原田の飲み込んだ言葉を躊躇いもなく放つ。

「て、ことは女から貰ったのか!いやー、もてる男は違うねー!」

あの馬鹿。原田は胸中で悪友に毒づくとそそくさと土方の怒気が高まるその場を離れた。

*****

(千鶴と薫)

「それ、誰にあげるの」

机の上に置かれた黒いマグカップを指差して薫が尋ねた途端、千鶴は慌てて戸棚の開き戸の中にしまった。その態度が面白くなくて、薫は「別にいいけどね」と呟きながら、自分の部屋には帰らずに千鶴のベッドの上にごろりと寝そべって本を開いた。マグカップの大きさは千鶴が使うには大きすぎるし、何より簡素ながらも丁寧に包まれているから、誰かに贈るものだろう。―――それも恐らく男性に。千鶴は頬を僅かに染めて、床に正座した。

「…内緒にして」
「誰に」
「色んな人に」
「口止め料くれるならいいよ」

千鶴は本気で困ったように唸っていたが、薫が「嘘だよ」と言えばほっと安堵したように笑みを浮かべた。薫はベッドのスプリングを利用して跳ね起きると千鶴の頭を読んでいた本で軽く小突く。

「…まさか沖田じゃないよね」
「う、うん…、違うけど」
「じゃあいい」

面白くないけど、と薫は千鶴には聞こえないように付け加えた。

*****

(沖田と斎藤と千鶴)

「総司、図書館は寝るところじゃない」
「寝てないよ」
「じゃあ何をしている」
「勉強する気が起きるのを待ってる」
「なお悪い」

さっさと準備しろ、と斎藤が鞄を開けると、沖田も口を尖らせて鞄を開いた。その手が止まり、顔と視線が動く。斎藤もつられて視線を動かすと、千鶴が本棚の前で佇んでいる。一冊抜き取ると、中身をめくって熱心に読んでいる。脇には何冊か抱えられていたから、授業の調べ物で使うのかもしれない。

「僕も千鶴ちゃんのところに行こうかな」
「駄目だ」
「ちょっとだけ」
「駄目だ」

千鶴が話し声に気付いたのか、振り返って沖田と斎藤の姿を見つける。微笑んで小さく会釈した。斎藤が小さく手を挙げるのと、沖田が立ち上がるのが同時で、斎藤は小さく後悔したが諦めて沖田の背中を見送った。

*****

(土方先生と千鶴)

夕暮れもとうに過ぎて、宵の明星が昇る頃合いになればすぐに夜になる。高校の裏手を通り過ぎれば、見慣れた背中が歩いているのが見えた。帰路についたのであろう、その背中。気づいてほしいけれど、気づかれるのも気恥ずかしくて、千鶴は足音を消して歩く。しかしその背は不意に振り向いた。千鶴が思わず立ちすくむ。土方は制服ではなくて、私服の千鶴に驚いたようだった。

「帰ったんじゃなかったのか」
「一度、帰ったんですけれど。着替えてから友達と遊びに行って」
「日が暮れんのも早くなったんだから気をつけろ」
「はい」
「んで、いつまでそこで立ってる気だ」

土方が笑って千鶴を手招いた。帰るぞ。そう告げてくれる言葉に緩む頬を無理やり引き締めて、千鶴は小走りに土方との距離を詰めた。