二人、並んで
随分長い間、娘を傍に留め置いた。まだ子どもの頃から見知っていた。知らぬ表情はないと思っていた。何をすれば笑い、何をすれば喜び、何をすれば悲しんで怒るのか、分かっていた。分かっていたつもりでいた。
引き寄せていた背中の力を緩めれば、口づけて限りなく近づいていた距離がまた離れる。千鶴の長い睫毛が震えて、瞼が持ち上がる。躊躇うように、はにかむように見上げられた視線が潤んでいた。わずかに染まった頬に掌を添えると、ようやくかち合ったと思った視線がまた恥じらって逃げられる。土方は息をつくように笑んだ。
「…いつから、そんな顔覚えやがった」
千鶴が、その言葉を聞きとめて視線で問いかける。答えてやる気など土方には更々なく、息つく間すらわずかにしか与えずにもう一度、今度はもっと深く口づけた。
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千鶴の朝は早い。自らの身支度を済ませた後は、晴れた日ならば雨戸を開けて日の光を入れ、鶏に餌をやり、庭と畑にに打ち水をして、実りがあればそこで獲り、朝餉の支度に取り掛かる。拵えが半分ほど終わったところで、土方が起きてくるのが常だが、それでも起きてこなければ、あとは朝餉をよそってしまうまで待ち、それでも起きてこなければ起こしに行く。たすき掛けを解いて千鶴は寝所へ足を向けた。
そうっと襖を開ける。正座したままにじり寄る。土方の姿と、呼吸にあわせて動く胸元に安堵する。おはようございます、と小さく声をかけても返答はなく、ついと千鶴は指を伸ばして、土方の前髪を梳いた。手の届かない頃より、このひとを想っていた。その頃を占めていたのは、憧れ。手の届く今となっては、愛しさ。傍にいて、生きていてくれるだけで、それだけで。
音を立てずに、敷布団に手が触れるまでにじり寄る。そうっと体を屈めて、額に小さく口づけた。
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勾配のきつい石段だった。昇段はともかく、降段時は足を滑らせてしまえば怪我をしかねないほどの。
千鶴の先を歩いていた土方が振り返る。踏み外さないようにと、それだけを気をつけて慎重に降りていた千鶴の足が止まる。
「ほら」
土方の手が差し伸ばされる。節くれだった掌。掌と土方の顔を逡巡するように千鶴は見つめた。土方の瞳が笑う。
「誰かさんはすぐに転ぶからな」
千鶴は拗ねたように唇を尖らせたが、すぐに観念したように頬笑み返して差しだされた掌に、自分のそれを重ねた。
