Title :Life after immortality(2/3)

意識を失った体を抱きとめる。人ではない僕には成人男性の体など重いものではない。軽々と抱き上げベッドに横たえてやる。起きた時、不快だろうからと服を脱がせて粘つく下肢も拭いてやった。この顔を見ていると、どうしても世話を焼いてしまいたくなる自分に気づいて思わず苦く笑った。

ベッドに腰を掛けて、眠りに落ちたエルを眺める。力を持った真っ暗な闇色の瞳が閉じてしまうと、普段の姿から想像できないほど無防備で幼い印象を受けた。

「ん・・・」

小さく唸って、エルは寝返りを打った。シーツがずれて白い首がさらけ出される。牙を引き抜いた後に肌を癒したから、そこには傷一つない。だが、僕の中にエルの首に牙を立てた感触が消えずに残っていた。

エルの言葉が蘇る。好奇心、だと言った。エルもヘンリーも何も知らないからこそ好奇心で僕に近づける。

エルの一族を思うと湧き上がってくる憤怒。人間を狩ることは禁忌だと知っていても、一人残らず狩ってしまいたい。葬ったはずの復讐心が蘇ってしまう。人間に対する復讐など許されなかった僕は、忘れるために必死でウィンチェスターの記憶から背を向けた。ロンドンのサロンであの会話を耳にするまで、この地に再び足を踏み入れようとは思っていなかった。

掌に爪の後が残るほど強く握り締めた拳を解く。手はエルへと伸びて行った。ほんの一瞬、片手で握り潰せる細い首で手は止まりかけ、思い直したように黒髪に潜った。さらりと指を流れる真っ直ぐな髪。以前は指と戯れるようなウェーブを持った髪だった。

けれど、観察すればするほど、話せば話すほど、僕の中の彼がエルに重なっていく。今は閉じられた目蓋の下の強い瞳も同じ。身を屈めて目蓋を唇で触れた。柔らかい熱に泣きたくなるほど安心している自分がいる。そして、それと同時に嫌悪する。

彼が動いている事を確認したくて、今日の様に部屋に忍び込んで眠る姿を一晩中眺めたり、夜通し書物を読み耽る姿を窓の外から見ていた。不眠がちなところも同じらしい。

それに、エルと言う名前。彼の名前の由来を僕は知っていた。そして、名付けた理由も。僕が初めて彼を見たとき、その名前を呟かずにいられなかった。彼の父も生まれた赤子を見て、同じ衝動を覚えたのだろう。

その衝動のままに、彼の父は生まれたばかりのわが子を投げ捨てたそうだ。床に倒れても泣き出しもしない自分の子供に忌々しく一瞥をくれて、自分にとって呪われた名前を吐き捨てた。エルの有能さはロンドンにも届いているのに、王位継承権はおろかローライト家の家督さえエルには与えられない。自分に取って彼と同じくらい忌々しいウィンチェスターの地だけを与え、そこから出て行くことは許さなかった。

離れた位置でもエルの鼓動が聞こえている。エルは確かに呼吸して生きている。彼は現在であり未来だ。かつて、僕から奪われた存在ではない。

エルと彼は別個の人間であると分かっているはずなのに、混乱せずにはいられない。僕はそれを望んでいるのだろうか。もはや憎めばいいのか、それとも愛すべきなのか分からなかった。

最近、外出が増えた。長年仕える執事のワタリはあまり表情を変えないものの、それを喜んでいるようだった。今日もヘンリーの屋敷へ行くと言う前に馬車の支度がされていた。もっとも向かう先はヘンリーの屋敷だが、目的はライトなのだが。

勝手知ったる屋敷のことで、私は主のヘンリーに会うこともなく、ライトの滞在するゲストルームへやってきた。部屋には姿が見当たらない。だが、窓で揺れるレースの向こうに人影が見えた。ライトは穏やかな日差しの下で紅茶と新聞を楽しんでいた。戯れるように風が髪を揺らす。心地良さそうにライトの口元が微笑んでいた。

ヴァンパイアは人を襲う闇の生き物、滅せばなくてはならない化け物だと教会は言う。だが、目の前にいるのは自然からも愛される存在にしか見えなかった。

「いつまでそこに立っているつもりだ」

ライトは読んでいる記事から顔を上げることなく私に尋ねた。

「何か面白い記事でもありますか?」

ライトの言葉がきっかけに彼に見とれていた私は動き出す事が出来た。テーブルを挟んで彼の向かいの白い椅子を引く。暑さを和らげていた風は止んだが、ライトの上には木陰が落ちた。やはりライトが自然から愛されていると言うのは正しいらしい。白いテーブルに反射した陽射しに目を細めた。

「大して面白いものはないよ。ゴシップに近い記事ばかりだ。さて、今日は何の用?」

「昔の話を聞きたいのですが、どのくらいの長さを生きているのですか?」

「十分に長く生きているね」

明確な答えをくれるとは思っていなかったので追求はしなかった。本題は別にあった。

「かつてウィンチェスターでヴァンパイアの存在が疑われました。疑われた人物は先々代のウィンチェスター領主。偶然にも私と同じ名前です。もっとも彼の場合は"L"の一文字ですが」

「お前は違うのか?」

「えぇ、さすがに同じ名前は不憫だと思ったのでしょう。亡くなった母が変えたそうです」

「お前にも両親がいたんだな」

「…木の股から生まれたとでも思ったのですか。まぁ、いいです。話を続けますが、Lはヴァンパイアと疑われ、教会と住民たちに殺されたそうです。彼は貴方の仲間ですか?」

面と向かって言われずとも、自分の名前が誰から由来しているのか漏れ聞こえてくる会話で知っていた。父は健在だが生まれてから一度も見ていない。私を産んだ母は父に捨てられた失意のうちに世を去った。唯一、私を気遣う執事にLの人となりを尋ねても、何もかも破壊された後では人々の偏った記憶や噂でしか知る術がなかった。

「ヴァンパイアだと疑われ殺された人間たちの中で、本当にそうだった者はいない。みんな何かしらの恨み、妬み、陰謀で都合よくヴァンパイアにされただけだ」

「彼の高い知性はロンドンにも届いていた。それと同時に、かなりの奇人で外に出ることは少なく、人に会う時でさえ瞳を髪で覆い隠したと聞きます。用心も疑いもかなりなもので、決して容易に人を信じない。そんな彼が簡単に陰謀に巻き込まれるでしょうか?」

「用心深さとともに、かなりの数の女性を弄んだとも聞いている」

「恋人もしくは愛人に裏切られた、と」

「男を破滅させるのはいつだって女だ」

軽く肩を竦めた姿もライトがすると嫌味にならない。トレイから新しい紅茶のカップを取り出した。ライトのカップと新しいカップを並べて、紅茶を注いでいく。ライトへの訪問が日常になってきたとは言え、私のカップも用意されているのを見ると心に喜びが広がった。彼が注ぎ入れてくれるだけで、世界の何よりも最上のものとなる。

「Lが処刑された日、屋敷もろとも彼のものは全て燃やされたそうです。私の屋敷に向かう途中にある廃墟はご存知ですか?」

「あぁ、ウィンチェスターに来た時にヘンリーが案内してくれた。今は瓦礫しか残されていないが、美しい屋敷だったと聞いた」

「えぇ、王族が婚姻の誓いを立てる場所に選んだ事もあったそうですが、今は夜毎悔いを残したウィンチェスター領主が彷徨い歩いているとか」

「まさか・・・」

「白い影が廃墟を歩き回っているそうです。貴方の話が正しいのなら、それも仕方がないことでしょうね。言われなき疑いで、胸に白木の杭を打ち込まれて殺された。そして、ローライト家の霊廟に入る事も許されなかったそうです。埋葬された場所は隠され、墓石にも彼だと分かるようなものは何も刻まれなかった」

ガシャンと激しく陶器がぶつかる音。ライトのカップが皿に乱暴に戻されていた。口元を掌で覆っている。

「・・・お前たちの残酷さには驚かされる。殺しただけでは飽き足らず、その死すら侮辱するとは・・・」

「ライト?」

私と視線を合わせない。ライトの顔から色が失われていた。彼の反応を訝しんだ。私よりはるかに多くの死を見てきたはずだ。平穏な死ばかりではなく、Lのように理不尽な死も多かっただろうに。

「来たばかりなのにすまない。外を歩いてくるよ」

「一緒に・・・」

「僕のところばかりに来ているだろ。たまにはヘンリーを見舞ったらどうだ?」

ジャケットを羽織り、彼は部屋から出て行ってしまった。

結局、私はヘンリーを見舞う気もせず、しばらくはライトが戻るのを待っていたが、その気配がないので屋敷に帰ってしまった。

ライトはもうあの部屋に戻っただろうか?私を置いて部屋を出た後、何をしていたのだろう?・・・誰かと会ったのだろうか?

私は最近おかしい。書物を読んでいても、ケーキを食べていても、何をしていても、気づけばそれまでしていた事を忘れてライトの事ばかりを考えている。目蓋を閉じれば、すぐに彼の姿が浮かんでくる。

それが何を示すのかは、いくら私でも分かっている。出不精だった私がほとんど毎日のように彼の元に通っている。ライトなら他愛もない会話でも楽しい。彼の意識が私にだけ集中し、そしてあの顔が微笑みを作ってくれるだけで心が躍る。彼の全てが私を惹きつけて止まない。

だが、ライトにとって私は?彼の中で私の位置づけは何だろう。彼に触れる事を許された恋人でもなく、彼の命を支えるドナーでもない。そして、友人と言えるほど彼の事を知っているわけではない。

今の私は、ライトの長い生で、いずれはその中に埋もれる一人の人間に過ぎない。顔も忘れ、声も忘れ、存在していたことも忘れる。それだけは許せない。彼の中に私がいないのは許せない。こんなにも私を乱しライトを知る前になど戻れないのに、彼はいずれ私を忘れるなんて。それならいっそ・・・。いっそライトに忘れたくても忘れられない記憶を与えてしまいたい。

指をぎりぎりと噛み締める。幼い頃から感情が乱れると出る癖。すでに血が滲んでいた。ライトと出会って以来、感情の触れ幅が両極に大きく更新されていた。叫びだしたいほどの喜びと、どろどろと黒く煮詰まっていく嫉妬。その度に噛み締めた指は簡単に肌が裂け血が滲むようになっていた。

「エル?」

穏やかな声に引き戻された。トレイを持ったワタリが傍に立っていた。椅子に体を折って座る私を見て、灰色の眉が寄った。優秀な執事が指の血に気づかないはずがなかった。

「手当てをしましょう」

手早く薬が塗られ、布が巻かれていく。彼を思って張り裂けた傷もこうして手当て出来ればいいのに・・・。

だが、そう出来るのはただ一人しかいなかった。

浅い眠りの中で物音を聞いた。薄く開いた目が揺れるカーテンを捕らえた。

「起こしたか?」

いくら潜められた言葉でも、その声に意識がすぐにはっきりする。

「夜這いだったら嬉しいですね」

半分本気の冗談にライトが笑う。その声が心地よい。明かりを付けようとベッドサイドのランプに手を伸ばすが、その手は止められた。部屋は暗かったが、満月の月明かりで彼の表情は伺えた。私を覗き込む美しい顔には、昼間に見せた憂いが消えていなかった。

「あの後、どこに行かれたのですか?」

「教会へ」

「私たち人間の愚かさを嘆きに?」

「嘆いて変わるなら、いくらでも嘆くよ」

優雅な仕草でベッドに腰を下ろしたライトが身を横たえた。驚くべき事に、甘えるように私の膝の上に頭が乗せられた。手を伸ばしたら幸運が逃げてしまうかもしれない。だが、私は手を伸ばさずにはいられなかった。おずおずと柔らかい茶色に指を潜らせる。形の良い唇から深い吐息が漏れた。

「・・・大司教との面会を希望してきた」

「大司教は病に伏せられているはずです。もう長い間、信者達にも姿を見せていません」

「懇意にしている司教がいてね。短い間なら面会出来るかもしれないと言われたよ」

それは、あの薔薇園でライトと絡み合い、彼に血を与えていた司教のことだろう。その場面が脳裏に鮮明に浮かぶ。まるで想い人にするようにライトを腕に抱き、唇を合わせる。お互いの体をすり寄せ、司教がライトを促した。ライトが捧げられた首筋に舌を這わせる。

心臓がきつく締まり嫉妬が噴出した。肺から全ての酸素を奪われたように呼吸が出来ない。今、目の前に司教がいたら何をしでかすか分からなかった。

動きを止めた私の手をライトが掴んだ。手首に柔らかい熱が押し当てられる。ただそれだけで嫉妬が速く薄れていく。口元には笑みさえ浮かんだ。

促されて髪を撫でる手を再開した。あえて会話は必要ではなく、お互いの存在だけで満たされていた。

眠ってしまったのだろうかと思うほど静かに横たわるライトが唐突に呟いた。

「・・・長く生きていても別れの辛さはいつだって同じ。何度繰り返しても、慣れる事も薄れる事もない」

その言葉はテラスでの私の疑問に対するライトの答えだった。ライトがヴァンパイアと知った後も、私は彼と過ごす時間が楽しかった。これまで出会った誰よりも洞察に満ち、皮肉やユーモアも自分と同じものだった。その一方で、人間に対する愛情。私が道端の小石ほどに心を動かされない事でもライトには違っていた。

この繊細で優しいヴァンパイアは、私よりも十分に長く生きていると言う。その間、どれほどの別れで傷ついたのだろう。出逢うたびに彼だけが取り残され、孤独を繰り返す。

「貴方を一人にしません」

ライトが嘆く姿を想像して、無意識に声に出していた決意だった。

「無理だ」

「物語では血を吸われた人間はヴァンパイアへと変化します。それと同じように、私を貴方と同じヴァンパイアに変化させる方法はないのですか?」

「なぜそんな事を聞くんだ」

「貴方と同じ時を生きたいからです」

「・・・駄目だ。お前にそんな事はさせない」

私の膝から跳ね起き、月夜でさえ美しく輝く琥珀が私を睨んだ。

「方法が、あるんですね?」

彼のこの激しい反応で分かった。ベッドから立ち去ろうとするライトの腕を掴む。そのまま腕を引き、顔をずいと寄せて彼の瞳をまっすぐに見つめる。

「教えなさい」

琥珀を細めてライトが私を睨みつける。だが、私も一歩も引かなかった。永遠に彼の傍にいる方法が目の前に横たわっているなら、なんとしても手に入れる。

「その代償も知らないくせに。不死への興味だけで望むのは止めろ」

「不死など興味がありません。私が望むのはライト、貴方自身です。そのためなら、何を犠牲にしても構いません」

「残される友人や家族のことは?」

家族と言う単語を聞き、せせら笑った。母の胎から生れ落ちた瞬間、私には家族などいなかった。いるのは血だけは繋がった冷淡な男と、金と色に狂う馬鹿ばかりの親族だけ。

「私がいなくなって哀しむ家族などいません。むしろ清々したと喜ぶでしょう。ワタリだけは仕える主がいなくなったと哀しんでくれるかもしれませんが」

「それでも駄目だ」

「何故?貴方は孤独です。独りで生きて寂しくはないのですか?」

私よりも体温の低い、陶器のような頬を両手で包んだ。瞳が伏せられ、長い睫毛がはためいた。

「・・・独りじゃない。一族がいる」

「だとしても、一緒に生きてはいない。傍にいて、共に嘆き、喜び、怒り、笑うことはない。私は貴方と出会う前、どれほど孤独なのか分かりませんでした。ですが、貴方と出会ってしまった。貴方と一緒なら、こんなにも世界が鮮やかで、喜びに満ちている。どれほど嫉妬に息苦しくなっても、貴方がいれば耐えられます」

「駄、目だ・・・。お前だけは・・・、お前を失いたくない」

痛みを耐えるようにライトの顔が歪められる。私の両手首を強く握り締め、そして背後へ突き飛ばした。

「ライト!」

そう叫んだ時には、彼の姿は窓の外へと消えていた。