Episode 8 Recollections


Chapter 7 Thermite(2)

夜のとばりが薄く明るくなり始めていた。
事故車両がレッカーされていくのを見送りながら、サラは衝突された信号機の写真を何枚か撮り、それから体を伸ばして首を回した。関節が音を鳴らした。
しゃがんで証拠袋を集め始めたとき、サラは人の気配を背後に感じた。
振り向かなくても、誰か分かった。
「呼んだ覚えはないけど」
「・・・会議が終わったから」
振り向かないまま、サラは忙しなく周囲に視線を走らせた。ブラスは運転手の話を聞くために病院へ向かったはずだ。他の警官も、離れたところにいる。会話を聞かれる心配はないだろう。
「ここはもう終わったわ」
両手一杯の証拠袋を持って立ち上がり、サラはスタスタとラボの車に向かって歩き始めた。
彼が後ろを付いてくる気配に、サラは僅かに苛立ちを覚えたが、黙って歩いた。
「どんな状況だ?」
「運転席と助手席の少年は重傷でデザート・パーム病院に搬送。でも意識はあるみたい。ブラスが聴取に行った。後部座席の少女は、デビッドによれば、推定死亡時刻が4時間前。つまり事故の前に死んでた」
「なるほど」
「車はあそこから急ブレーキを踏んで、何かを避けようとして信号機に衝突。助手席側が大破。典型的なオフセット衝突ね」
「被害者の身元は?」
「3人ともまだ分からない」
「そうか」
車のトランクに彼女が証拠袋を積むのを手伝うでもなく、グリッソムはサラの隣に立ったまま、しばらく無言だった。
サラは現場の見取り図に書き込んだ証拠番号と袋のチェックを黙々と続けた。
「貫禄があるって・・・君は言った」
躊躇いがちにかけられた声に、サラは溜め息を大きくついた。
彼はこういうことを、実はネチネチと気にするのを、いったい誰が想像出来るだろう。
「お世辞だったのか?」
サラは振り返り、グリッソムに向き合った。
「キャサリンと、私と、どっちを信じるの?」
グリッソムは視線を逸らした。
「そ、なら勝手にすれば」
再び体を戻して背を向けると、サラは作業に戻った。
彼がまだ背後でモゾモゾしているのを感じると、サラは一瞬手を止めて言った。
「あなたのそういうところ、嫌い」
そしてまた作業に戻った。
「・・・分かった」
拗ねたように言って、グリッソムは静かに立ち去ろうとした。
サラは小さく頭を振った。
「グリッソム」
呼び止められて、グリッソムはゆっくり振り向いた。
サラは腕を組んで俯いていた。
「どうした?」
「ジムに・・・話した?」
「何を?」
グリッソムは首を傾げた。
サラは顔を上げず、何か言いよどんだ。
グリッソムはもう一度首を傾げ、それからふと思い当たった。
「君とのことか?」
サラが小さく溜め息をついたので、正解だと分かった。
「いいや」
サラは右脚をぶらぶらと揺らした。それから一度、大きく息を吸って、吐いた。
「・・・たぶん、気づかれてる」
グリッソムは一瞬、なんと言ったらいいか分からなかった。彼のことを誰よりも(もしかしたら彼自身よりも)よく知る刑事の友人にバレるのは、時間の問題だと思っていたから、そのことに驚きはなかった。
「そうか」
サラがちらりと彼を上目遣いで見る。それから苛立ったように髪をかき上げ、腰に手を当てるのを見て、グリッソムは慌てて言った。
「彼は言いふらしたりはしないだろう」
「ホントにそう思う?」
もう一度彼を見たサラの不安そうな瞳を見て、グリッソムは僅かに顎を上げた。
「・・・口止めしておこうか?」
そう言うグリッソムの口調は、しかしあまり乗り気そうでは無かった。口止めするということは、事実を認めるということだ。ブラスはしばらく、彼をからかうに違いない。それは少し、いや大いに、グリッソムには気恥ずかしく、居心地悪く感じるだろう。
サラは唇を震わせたが、何も言わず、背を向けた。
「サラ?」
「ラボに戻る」
短く言うと、サラは後部ドアを勢いよく閉めた。

************

ラボに戻り、証拠を保管庫に記録して必要な解析を手配した後、サラは休憩室に向かった。
コーヒーマシーンへ近寄る。誰かが淹れたばかりなのだろうか。いい香りのコーヒーが大量に残っていた。
「サイドル!」
大声で呼ぶ声に、サラは思わず身をすくめた。
思いっきり渋面で振り返りながら、サラは返事をした。
「なに、エクリー」
「話がある。オフィスに来い」
棚から取り出しかけていたマグカップを戻し、サラは渋々エクリーの後を追った。
局長補佐のオフィスに入り、ドアを閉めて椅子に座るよう促すエクリーに従って、サラは腰を下ろした。
「あたし、何かした?」
軽い調子で、自虐的に聞いてから、サラは突然不安がこみ上げるのを感じた。

キャサリンは何て言っていた?
今度私が問題を起こしたら、グリッソムがクビになる。

サラは血の気が引くのを感じた。胃がキュッと縮むのを感じた。
エクリーは溜め息を盛大について、自分の机の椅子にどかりと座った。
「弁護士のロイ・マッケンジーを知ってるな」
「もちろん」
答えながら、サラは唇を噛んだ。
弁護士と捜査官はとかく仲が悪いが、特にこの弁護士とは、サラはウマが合わなかった。合わないどころか、顔を合わせるたびによく揉めた。
彼は街のギャングのお抱え弁護士で、証拠や手順に難癖をすぐに付けてくるからなのだが、たいていは時間稼ぎのためで、時には違法すれすれの手段さえとってきた。そしてその間に容疑者が逃亡や証拠隠滅を図ったりするので、刑事や捜査官のほとんどからは嫌われていた。彼とそつなくやれるのはグリッソムくらいだろう。そのグリッソムでさえ、チームのメンバーには彼への不快感を時折漏らしているくらいだ。
きっとこのエクリーとは気が合うのだろうな、とちらりと思いがよぎり、サラは微かに苦笑した。
そんなことを考えている場合ではない。
「彼から君への苦情がこれだけ来ている」
エクリーはサラの前に分厚いファイルをぞんざいに投げて落とした。
サラは両腕を組んで、そのファイルを見るのは拒否した。
内容はだいたい分かる。
「彼と揉めるのは、私だけじゃないでしょ?」
サラは努めて冷静に声を出した。
エクリーは溜め息をついた。
「もちろんほとんどの捜査官が何かしらの苦情を彼からはもらっているが、君がダントツで多い」
「で、また何か言ってきたわけ」
「そうだ」
サラは俯いた。
必死で最近彼が担当した事件の記憶をたぐり寄せる。
「先月のコンビニ強盗事件?」
エクリーは驚いたようにサラを見た。自覚があることに驚いたのか、記憶を呼び起こす早さに驚いたのか。
「そうだ。取調中に、君が容疑者の人権を侵害したと、苦情が来ている」
「あれは」
反論しかけたサラを、エクリーは手を上げて押しとどめた。
「今度やったら市と警察を訴えると言っている」
「どうせ脅しでしょ」
サラは鼻に皺を寄せて言った。しかし不安な気持ちは収まってはいなかった。
「かもしれんが、本当にやられたら市は大ダメージだ」
「あなたが気にしてるのはいつだって体面よね」
言ってから、サラは怒りを飲み込んだ。
・・・この男と今争うのは、賢明ではない。
特に今は、彼に知られたくない秘密も抱えている。
そして争った結果、グリッソムの立場を危うくするようなことがあってはならない。

私が問題を起こしたら、彼がクビになる。
そんなことだけは、絶対にさせない。

サラは俯き、イライラと貧乏揺すりを始めた。
そんなサラをしばらく見ていたエクリーは、両手を机の上で組んで、静かに言った。
「なあ、奴のことは私も気に食わんが」
思わずサラは顔を上げた。
エクリーでさえ、あの弁護士のやり方には不満を感じているのだ。その事実に、サラは少しだけ溜飲を下げた。
「他の捜査官を守ることも考えねばならんのだ。万が一、本当に訴えられたら、市は君を守れない」

私は誰かに守ってもらう必要なんかない!
叫びかけたのを、サラはぐっと奥歯を噛んで飲み込んだ。

今はエクリーを敵に回してはいけない。
グリッソムが不利になるようなことを、するわけにはいかない。
・・・彼の、「お荷物」には、なりたくない。なれない。なるわけに、いかない。
ただでさえ、自分が「面倒くさい女」だという自覚はある。

サラは2回、3回と深呼吸をした。
それから、エクリーを真っ直ぐ見据えた。
「どうすればいい?」
エクリーは意外そうにサラを見た。
彼女が感情を爆発させるのを想定していたのだろう。まさかこんなに聞き分けのいいサラ・サイドルを見られるなどと、思ってもいなかったのだろう。
そう思うと少しだけサラは気が晴れる気がした。
指で自分の腕を数回叩き、それから、サラは口を開いた。

************

局長補佐のオフィスを出てラボの廊下をぼんやり歩いているとき、
「サラ!」
呼び止められて、サラは我に返った。
DNAラボから、ウェンディが顔を出していた。
「なに、ウェンディ」
サラは意識を集中させると、DNAラボに入っていった。
「キャサリンとやってる昨日の宝石店強盗殺人」
「何かマッチした?」
ウェンディは結果用紙をひらりとサラに手渡した。
「拳銃のグリップに付いてた血痕。過去があった」
「ケン・バークリー。強盗が2回、か」
サラは資料の備考欄にギャング団の名称が書かれているのを見て、僅かに眉をひそめた。
・・・まさか、早速?

「ベガ刑事にもう伝えたわ。今礼状取りに行ってる」
ウェンディの言葉に、
「分かった。ありがとう」
サラは礼を言ってDNAラボを出た。
ラボを出ながら、サラは携帯電話を取りだし、キャサリンの番号を押した。
3回のコールで、キャサリンは出た。
「ウィロウズ」
「キャサリン?サラだけど、昨日の強盗殺人、第一容疑者が浮上した。ベガが令状取りに行ってる」
「あなたは今ラボ?」
「ええ」
「こっちは今から戻るところ」
「分かった。容疑者が着いたらまた連絡する」
電話を切って顔を上げたとき、サラはグリッソムのオフィスの前にいることに気づいた。
中を覗いて彼がいるか確認しようとして、サラは思いとどまった。
今、話すことは無い。
そのまま通り過ぎて、休憩室へ入る。コーヒーを飲みそびれていたことを思い出した。

************

「ジム。ちょっといいか?」
ブラス警部のオフィスに入りながら、グリッソムは躊躇いがちに声をかけた。
「なんだ?」
書類を書いていた手を止め、ブラスはグリッソムを見上げた。
グリッソムは椅子には座らず、壁に寄り掛かりながら、
「あー、その」
言いづらそうに言葉を濁した。
ブラスは眉をひそめた。
「どうかしたか?」
グリッソムはあごひげをしごいた。
「あー、今日、その、彼女に・・・言ったそうだが」
ブラスの両眉がゆっくり上がった。
ふむ、これは興味深い。
「彼女?」
ブラスはわざとらしく聞いた。
グリッソムは口をもごもごさせて何か言った。
「言いたいことがあるならはっきり言ってくれないか?」
笑いを堪えてブラスが言うと、グリッソムは盛大な溜め息をついた。
「ジム・・・」
分かってるだろう、という言外のほのめかしを、ブラスは無視した。
「彼女?」
「・・・そうだ」
「君の、『彼女』?」
「・・・ああ」
なぜか投げやりに認めたグリッソムに、ブラスは大袈裟に首を傾げて見せた。
「はて、おかしいな。君にガールフレンドを紹介してもらった記憶が無いんだが?」
溜め息と共に、グリッソムは頭をかき乱した。
ブラスはついに声を上げて笑った。
「分かってるさ。彼女に、口止めしてこいと言われたのか?」
「いや」
ホッとしたようにしつつ、グリッソムは大真面目に答えた。
「ただ、不安そうにしてたから」
ふーむ。ブラスは再び内心で唸った。これはこれは、興味深い。
「私から言いふらしたりはせんよ」
グリッソムは明らかに安堵したように息を吐いた。
二人はしばらく、落ち着かない沈黙に支配された。
「あー、それじゃあ・・・まあ、そういうことだ」
グリッソムがまたゴニョゴニョと何か言って、部屋を出ていこうとした。
「ああ、ギル」
それを呼び止めて、ブラスはしばし言葉を探した。
「彼女を、もうこれ以上、傷付けるなよ」
グリッソムは長い付き合いの友人の顔をまじまじと見つめた。
「何年待たせたんだ、ん?」
真顔のブラスに、グリッソムは静かに目を伏せた。
「分かってる」
そしてオフィスを出て行った。
・・・誰に言われなくても、分かってる。彼自身が、一番。
そしてすでに、自らに立てたその誓いを、愚かな好奇心のせいで破ってしまったことを。

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休憩室で事件の資料を読み返しながらコーヒーを飲み、40分ほど経った頃、サラの携帯が鳴った。
「サイドル」
「サラ?ベガだ」
強盗殺人を担当しているサム・ベガ刑事だった。
「ケン・バークリーを連行した。聴取出来るぞ」
サラは壁の時計をさっと確認した。
「キャサリンを捕まえたらすぐに行く」
「私からもキャサリンには何度か電話したんだが、出ないんだ」
「そう?こっちからもトライしてみる」
「じゃ、頼んだ」
電話を切って、そのままキャサリンにかけ直す。
しかし、10回コールを待っても、キャサリンは電話に出なかった。
サラは少し考え、グレッグの携帯の番号を押した。
グレッグの携帯もまた、9回のコールで応答が無かった。
サラは今度は、ニックの番号にもかけた。
こちらはすぐに、留守番電話になった。
携帯電話を片手に思案していると、誰かが休憩室に入ってきた。
「どうした?」
声を聞く前に誰か分かっていたが、声をかけられるまで、サラは顔を上げなかった。
「昨日の、宝石店強盗殺人」
サラは事件のファイルをグリッソムに渡した。
「ああ」
「容疑者が浮上して、ベガが連行してきたんだけど、キャサリンがまだ戻ってないの。電話にも出ないし。グレッグも、ニックも」
「最後に連絡が取れたのはいつだ?」
「40分ほど前」
グリッソムは資料をサラに返しながら言った。
「君が仕切っていい。キャサリン達には、ディスパッチにコンタクトを依頼してみる」
「でも・・・」
サラは言いよどんだ。資料のギャング団の名称が、再び目に入った。
「事件のリードはキャサリンが・・・」
キャサリンは自分で仕切らないと気が済まないタイプだから、それで遠慮しているのだと匂わせるように、サラは俯きながら言った。
グリッソムは軽く笑った。
「キャサリンが文句を言ったら、私に言いなさい」
サラは資料にもう一度目を落とし、それから小さく頷いた。
すでに弁護士が付いてるとは、限らない。
「じゃ、そうする」
サラが小さく笑って言うと、グリッソムは目に見えて安堵したように微笑んだ。
それを見て、サラは、彼が彼女と話すのに緊張していたのだと気づいた。
今日自分が彼に対して取ってきた態度を思い出し、サラは少し後悔した。
もう一度小さく彼に微笑み返し、彼が頷くのを見て、サラは休憩室を出て行った。


TBC.