ヒナミは本屋を出ると、あんていくに向かって歩き始めた。しかし、数歩歩くと、足を止め、振り返った。

「何…この匂い…」

ヒナミはそう呟くと、手で口を覆った。

ーー吐き気がする。これ…前に同じ手に引っかかった…そう、お父さんの匂いだ…!

ヒナミはぎゅっと目を閉じ、匂いのする方向に背を向け、あんていくに向かって走り出した。

本屋の道路の向こう側で待機していた2人の男は、トランシーバーに話した。

「少女、本屋から出て匂いに気づき、北西に向かって走っていきます!」

それを受け取った、本屋から少し離れた北西の路地で待機していた亜門は返事した。

「了解しました。構えています」

すると、本屋の北側にいる篠原がトランシーバー越しに指示をした。

「本屋のすぐ西にいる小西と岬、姿を見たら突撃しろ!少女がカグネを出していない場合は、殺すのではなく、取り押えるように。本屋の東か南にいる者は、本屋のところまで来て待機!俺と什造は西に向かい、少女に遭遇し次第参戦する」

「了解です!」

亜門はそう言うと、ユキナを見た。

「ユキナ、構えろ。てっきり匂いのする方に行くと思ってたが…匂いの反対側も張っておいて正解だったな」

「はい。ここは本屋からそう遠くないし、いつ来てもおかしくありません」

ユキナはそう言うと、クインケをケースから出して構えた。

作戦は、こうだった。この件が片付くまで、各ペアが20区支部ではなく本屋の近くの交番などで働き、いつ通報があっても動けるように構えていた。そして本屋から通報が出された途端、警察が周りの人たちを建物の中に誘導し、捜査官が大通りのすぐ近くの路地裏で待機し、少女が自分たちの方に来しだい攻撃する…

カキン!カキン!

遠くの方から、武器の音が聞こえてきた。ユキナが壁の後ろから様子を伺うと、カグネを発動させた少女が2人の捜査官に追われているのが見えた。黒髪マスクの子供のグールは大きなカグネで背中を守りながら走っていた。

「今だ!」

亜門はそう言うと、路地裏から大通りに出た。ユキナも続き、亜門の横に立った。道を塞がれた子供のグールは止まった。振り返ると、彼女を追ってきた捜査官2人も止まり、構えていた。

ーーもう終わりだ、この子。

ユキナはギュッとクインケを握った。

ーー私は喰種を助けたい。あなたのような喰種を、助けたい…でも、私にはその力がない。もっと昇進しないと、私に影響力はない。だから、その力を手に入れるまでは、捜査官として喰種を殺さないといけないの…ごめんなさい。本当にごめんなさい…

ユキナはまるで自分に言い聞かせるように、自分の行動を正当化させるように、頭の中で唱えた。しかし、頭を両腕で抱え込み、泣き出した少女が次に言ったことで、息を飲んだ。

「やだ…戦いたくないよ…。殺したくなんかないよ…!助けて、お兄ちゃん…!」

ユキナは腕の力を緩め、構えていた武器を下ろした。しかし、すぐにぐっと握り直し、急に少女に突撃した。

カキンッ

「きゃっ…」

少女はカグネでとっさに身を守った。

「おい、何を…!」

後ろから亜門が怒る声がしたが、ユキナはぐっとクインケをカグネに押し当てた。他の捜査官が困惑の表情を浮かべる中、ユキナはジリジリと抑え続け、ユキナは少しずつヒナミが走って来た側に回っていった。そして2人の捜査官に背中を向け、亜門の方を向くと、いったんクインケを振り払った。ユキナは武器を下ろしたまま、少女を睨みつけた。少女はうろたえ、立ちすくんでいた亜門の横を通って逆方向に走り出した。ユキナが彼女を追いかけると、アモンは振り返り、叫んだ。

「あ、待て!」

亜門と他の捜査官2人はユキナたちの後を追った。しかし、猛スピードで走る少女に追いつけるのは、ユキナと亜門だけだった。他の捜査官2人は、ずっと前から走って彼女を追いかけてきたため、途中で息が切れてしまった。

途中、篠原と什造が建物の裏から現れ、少女の前に立ちはだかった。少女は戸惑ったが、ユキナが左側から攻撃すると、よけて急いで右に走り出した。ユキナは彼女を追いかけ、亜門と篠原たちも走った。

「勅使川原!?おい、亜門!今はどういう状況なんだ」

「わかりません!no.745が走ってきて、俺たちで道をふさいだんですが、ユキナが急に攻撃を始めて…」

亜門が篠原にそう説明すると、什造はニヤッと笑った。

「面白くなってきましたねぇ。僕も混ざりたいな!」

そう言うと、什造はスピードを上げた。ユキナはチラッと振り返った。

ーーダメだ…あの3人より、私が最初に体力が切れちゃう…!

ユキナはあらかじめ頭に叩き込んでおいた、本屋の周りの地図を思い出した。

ーー本屋の西側、わりと狭くて、先が行き止まりじゃない路地…

そう考えながら走り続けていると、少し先の方にある、店と店の間のスペースが目に入った。ユキナは一気にスピードを上げて少女の前に回り込んだ。

少女は戸惑い、道路に飛び出そうとしたが、ユキナがクインケ道をふさいだ。追ってくる捜査官達を見て、少女は慌てて路地に入った。

しかし、ユキナは少女を追わず、彼女に背を向けて路地の前に立った。

「おい、ユキナ、何をしてる!」

追いついた亜門はユキナに聞いた。彼の声を聞いた少女は、立ち止まり、振り返った。

「…勅使川原。どういうつもりだ?」

篠原が追いつき、低い声でそう聞くと、ユキナは振り返らずに叫んだ。

「走りな!今のうちに早く!」

ユキナの言葉に、少女はハッとしたように走り出した。

「おい、何を…」

篠原はユキナの横を通ろうとしたが、ユキナはクインケで道をふさいだ。

「安全な場所に隠れてね!」

ユキナがそう叫ぶと、少女は路地を通り抜け、右に曲がって走り続けた。

ガシッ

什造は強い握力でユキナの右腕をつかんだ。

「何やってるんですか、ユキナさん?まさか子供の喰種だからってかわいそうに思ったんじゃないでしょうねぇ」

暗い笑みを浮かべながらそう聞く什造を、ユキナは真っ直ぐに見て答えた。

「いいえ。同族殺しはしたくないと思ったから、あの子を逃がしたんです」

「ユキ…!」

亜門は呼びかけたが、篠原に遮られた。

「どういうことだ?」

ユキナは什造の腕を勢いで振り払った。

「…そう簡単に人には言えません。誰にも言わないと約束してくださるなら、篠原さんにだけ教えます」

「勅使川原…お前、自分の立場をわかっているのか?」

「…」

ユキナはゴクリと唾を飲んだ。

「…お願いします」

ユキナが俯き、緊張した声でそう言うと、篠原は息を吐いた。

「まあ、いいだろう。俺と一緒にあっちの路地裏に来な。亜門と什造はそこで待機してくれ」

「はぁ…」

亜門が不安げに返事をすると、2人は歩いて行った。

「…情けであの喰種を逃したと思ってましたが…どうやら違うようですね」

2人が角を曲がると、什造はそう呟いた。

「同族…というのは、どういうことでしょうね、亜門さん?」

什造は亜門の顔を覗き込んで聞いたが、亜門は目を逸らし、しばらく黙っていた。

「…その言葉の意味を知るのは、篠原さんだけだ」

亜門がやっとそう答えると、什造はうんと伸びをした。

「ふーん。そうですかぁ」

什造はそう言うと、つまらなさそうな表情でクインケをいじった。