Episode 12.2 Epilogue(02)
「やあ、サラ。久しぶりだね。調子はどう?」
警官援助プログラムの担当カウンセラーは、笑顔でサラを迎え入れた。
「どうも、リチャード」
案内されるままに、サラはソファに腰を下ろした。
「二年ぶりか?その後、アルコールは?」
「・・・飲んではいるけど、ほどほどにしてる」
「君の問題はアルコールじゃ無いと言ったろう?」
「ええ」
サラはソファに置いてあったクッションの1つを手にとって、お腹の前で抱えた。
「今日は、どうした?」
サラはクッションを九十度回した。
「スクールバスの事故のニュース、知らない?」
「ああ、あれはやっぱり君だったか」
リチャードは微笑んだが、サラがまたクッションを九十度回すのを見て、直ぐに表情を戻した。
「それで、上司に行けって言われたから」
サラは肩をすくめてそう言い、リチャードを見た。
「君は、今、何を考えてる?」
リチャードはサラが何度もクッションを九十度ずつ回し続けるのを見ながら、尋ねた。
「事故のこと?」
「何でも。今、頭の中にあること」
サラはクッションを回す手を止めて、少し考え込んだ。
「すごく、ぐちゃぐちゃ」
「どんなふうに?」
「・・・ただ、ぐちゃぐちゃ」
ふむ、とリチャードは足を組んだ。サラはまた、クッションを九十度ずつ回し始めていた。
「じゃあまず、事故のことを話そうか」
「どうぞ」
リチャードは軽く笑った。
「君が話すんだよ、サラ。事故のことでは、今、何を考えてる?」
サラはクッションを抱き締めた。
「んー・・・」
しかし唸ったまま、サラは何も言わなかった。
リチャードは少し待ってから、
「事故のことを考えたとき、まず何が思い浮かぶ?」
そう尋ねた。
「・・・ブレンダ」
「それは、誰?」
「事故に遭った女の子」
「被害児童だね。他にも被害児童はいるのに、どうして、その子なの?」
サラは唇を吸った。そしてまたクッションを九十度回した。
「以前、捜査で、会ったことのある子だから」
「覚えてた?」
「向こうが。説明されて、思い出した」
「思い出して、良かった?」
リチャードのその質問に、サラはまたクッションを回しかけていた手を止めた。
「わかんない」
サラは今度はクッションの真ん中に右手で軽いパンチを当て始めた。
「捜査で会ったということは、ブレンダは、事件の・・・関係者だった?」
「関係者・・・遺族であり、被害者だった」
「被害者?」
「・・・事件のことは、話したくない」
リチャードは軽く眉を寄せたが、クッションを殴り続けているサラには見えていなかった。
「思い出すのがつらい?」
その言葉に、サラは手を止めた。そして、首を傾げた。
「いえ」
「違うの?」
「・・・ブレンダを、憐れんでる自分に気付くから、嫌」
「どうして、それがイヤなの?」
サラは唇を噛みしめた。同時にクッションを両腕できつく抱き締め、顔を埋めた。
「自分を憐れんでる自分に気付くから」
くぐもった声で、サラは言った。
リチャードは静かに頷いたが、勿論サラには見えていなかった。
しばらくリチャードは黙って、サラが顔を上げるのを待った。
二十秒ほどしてサラが顔を上げたとき、サラの目は少しだけ赤くなっていたが、涙は無かった。
「その話を、君の家族の話を、上司にはしたかい?」
リチャードの質問に、サラは僅かに驚いたようにしたが、すぐに、
「ええ、した」
頷いて言った。
「そうか。良かった。おめでとう」
リチャードの祝福に、サラは眉を上げた。
「なんで?」
「君にとっては、本当に大きな一歩だ」
「あー、まあ・・・」
サラはクッションの表面を撫でつけた。
「彼とは、もう一つの話は、した?」
サラは一瞬呼吸を止めた。クッションを撫でつけるスピードが早くなった。
「ええ、まあ」
リチャードは、サラがクッションの表面から埃を寄り集めてつまみ、顔をしかめるのを見ていた。
「それで、どうなった?」
ゴミ箱をサラに差し出しながら、リチャードが尋ねる。
サラはちらりとリチャードを上目遣いで見て、そしてつまんだゴミをゴミ箱に落とした。
「あー、その・・・付き合ってる」
咳払いをして、サラは小さな声で言った。
「そうか」
リチャードは驚いた表情をした。
「あー、それはちょっと、意外だったな」
サラはクッションに向かって唇を尖らせた。しかしふと顔を上げると、
「ね、この話って、絶対、外には漏れないのよね?」
慌てたように尋ねた。
「もちろん」
「エクリーにも?」
「誰にも。君の『上司』にだって、何があっても漏らさないから、安心して」
ほっと安堵の息をつきながら頷いて、サラはまたクッションを睨んだ。
「じゃそっちは今は問題なしと・・・」
リチャードは足の上に置いたノートになにやら書き込んだ。
「それで、事故のことでは、他に何を思い出す?」
サラは首を傾げた。
「挟まれてて動かせなかった子供達」
「・・・児童は全員、助かったんだよね?」
「でも・・・もし、レスキューが間に合ってなかったら、あの子達は・・・」
「でも間に合った」
サラはふーっと息を吐いた。
「そうね」
「もっと出来たと、思う?」
リチャードの問いに、サラは目を細めて考えた。
そしてやがて、首を横に振った。
「いいえ」
「サラ」
リチャードは少し身を乗り出して話しかけた。
「未来の『もしも』を考えるのはとても大事なことだけれど、過去の『もしも』を考えることは、実はとても、無意味なんだよ」
「過去は変えられない?」
「過去は変わらない」
サラはじっとカウンセラーの目を見た。
「・・・分かってる」
そう言って目を反らし、またクッションを弄り始めたサラを、リチャードはしばらく黙って見ていた。
「ヒロイン捜査官の、名前を明かさなかったのは、なぜ?」
リチャードの静かな質問に、サラは深く息を吐きながら目を閉じた。
「マスコミが私の名前から、母の事件に辿り着くのを避けたかった」
サラは淡々と言った。まるでその質問が来ることが分かっていて、答えを用意していたかのようだった。
「そうか」
リチャードは短く言い、またノートに何か書き込んだ。
「本当は、事故のことを話しに来たんじゃ、ないね?」
突然リチャードにそう言われても、サラは特に驚いた様子を見せなかった。
また小さくはない溜め息をついて、サラは小さく頷いた。
「話してみて」
リチャードに促され、サラはしばらく逡巡した後で、重い口を開いた。
「どうやったら受け流せるのか知りたい」
「受け流す?」
「事件で。つらいとき」
「受け流したいの?」
「何でもいいけど・・・とにかく、もう、振り回されたくないの」
リチャードはしばらく、ノートに目を落としていた。
「君は以前、『何も感じないようになりたい』と言っていたね。それとは、違う意味?」
サラはクッションを抱きかかえた。
「・・・たぶん、違う。・・・でも、分かんない」
「そうか」
頷いたり、首を振ったりするサラを見て、リチャードはノートに更に何か書き込んだ。
「つらいのは、どんな事件?」
「それは前も言ったでしょ」
「どんな事件?」
繰り返して聞くリチャードに、サラは軽く眉をひそめながらも、答えた。
「DV。児童虐待。・・・あと、里子。そのあたり」
口を開きかけたリチャードを、サラは片手を上げて押しとどめた。
「それらがつらいのは、私もその中にいたから。・・・念を押さなくても、分かってる」
ふむ、とリチャードは頷いた。その顔には少し驚きも浮かんでいた。
「君は以前とは、随分変わったようだ」
サラは首を傾げてリチャードを見た。
「そう?」
「以前の君は、自分の問題をなかなか認めようとしなかった。でも今日の君は、随分素直だ」
サラは若干俯いて鼻をすすり、そして鼻の下を少しこすった。
「・・・そう」
ほんの少し、照れたようにも見えた。
リチャードはそれを見て取って、小さく微笑んだ。
「『受け流す』というのは、人によって、手段や心構えや・・・、いろいろ違うもんなんだ。人によって合うやり方、合わないやり方がある」
サラはクッションを膝の上でジャンプさせながら、ちらりとリチャードを見た。
「自分に合った方法を見つけるのには、時間がかかるよ、サラ」
「・・・分かってる」
サラは深呼吸をした。
「でも、そうしたいの。そうしないと、前に進めない」
クッションに向かって宣言するサラに、リチャードは何度か小さく頷いた。そしてノートにペンを走らせた。
「まずは、しっかり切り替える時間を作ることを始めてみたらどうかな?」
「『趣味を持て』?」
うんざりしたように言うサラに、リチャードは苦笑した。
「それは君にはとても難しいことはもう知ってる」
リチャードの言葉に、サラは自虐的に笑った。
「だから、君の場合、何か儀式的なことをする事を勧めるよ」
「儀式的?」
「一区切りしたら、毎回、何か形式的なことを繰り返すんだ。それで、これでこのことを考えるのは終わり、そう自分に言い聞かせる。初めは、実際に声に出すといいだろう」
サラはふと、ロビンスの言葉を思い出していた。彼も、きつかったときは、少しだけ特別なことをしていると言っていなかったか。
その時、小さなチャイムが鳴った。
「残念、時間だ」
時計を見て、リチャードは立ち上がり、机に回り込んだ。そして一枚の紙にさっとサインをし、サラの前にまた戻ってきた。
「どうぞ」
受け取りながら、サラはリチャードを怪訝そうに見た。
「事故に関するカウンセリングの完了報告だ。この件に関しては、今のところ、問題は見当たらない」
「そ、良かった」
サラは立ち上がった。
「だけど、サラ?」
リチャードはサラを呼び止めた。
「上司の命令が無くても、いつでも、来ていいんだからね?」
サラは受け取った書類をひらひらと揺らし、少し考えた。
「覚えとく」
そう言ってサラは身を翻しかけた。
「君は前に進んでるよ、サラ」
リチャードの言葉にサラは足を止め、彼を振り返った。
「大丈夫。君はタフだ。君ならやれる」
大きく深呼吸をし、サラは小さく何度も頷いた。
「ありがと」
そして、カウンセリングルームを出て行った。
************
サラは会議室の片隅で報告書を書いていた。
アレックス・ザグナーの赤ん坊、ケイトの死亡事件と、そして、アレックス本人の殺害事件のだ。
「よう、サラ」
やってきたのはブラス警部だった。
「ジム。何か御用?」
「アレックス・ザグナーの予備審問は中止になったので、教えに来た」
サラは呆れたようにブラスを見た。
「そんなの当たり前じゃない。被疑者死亡してるのに、出来るわけないでしょ」
ブラスはとぼけたように頭の後ろに手をやった。
「天下のサラ・サイドルが、そんなことを忘れるわけないか」
サラは顔をしかめてブラスを睨んだ。
「まあ、そう怖い顔をしなさんな。その・・・ソフィアがちょっと、君が心配だと言ったんで、様子を見に来たんだ」
サラはますます顔をしかめた。
彼女にだけは、心配されたくない。
「余計なお世話だと彼女に言って」
「伝えとく」
本当に伝えたら、修羅場になりそうだ、と思いながら、ブラスは答えた。
「それはそうと・・・いいものを手に入れたんだ、見るか?」
ブラスはそう言ってニヤリと笑い、ジャケットのポケットに右手を突っ込んだ。
そしてUSBメモリを取り出して掲げた。
「アーチーにコピーして貰った」
サラが怪訝そうにブラスを見上げる。
「感動的スピーチの録音生データだ」
「嘘でしょ」
サラは慌てて椅子から立ち上がった。
「ネットで売れるかな?」
「ジム!」
サラは目を吊り上げてしてブラスに迫ろうとしたが、ブラスは笑いながら逃げていった。
「アーチーを止めなきゃ」
独りごちて、サラは廊下を走り始めた。
「アーチー、話があるんだけど」
嵐のように飛び込んできたサラに、アーチーは驚いて眉を上げたが、
「ちょっと待って」
人差し指を立ててサラを止めると、パソコンに向き直った。
なかなかパソコンから顔を上げないアーチーに、サラはイライラと舌打ちをした。しかしふと、画面に映し出されている映像が何か気付いて、眉を寄せた。
「私の映像?」
アーチーはちらりとサラを振り返り、頷いて見せた。
「そ。君のニュース映像。事故の救出劇のときのやつ。大手からアングラまで、動画投稿サイトをチェックしてるんだ」
「何のために?」
「ネットに拡散される映像を、アップされる度に、サイト管理者に著作権侵害で申告して削除させてるんだよ」
ああ、とサラは納得した。
「それ、エクリーに頼まれたの?」
「いや、グリッソムだよ」
「そう・・・」
何よ、結構気が回るじゃないの。
・・・なのにどうして、時々、無神経なこと言ったりするんだろう、あの人。
「イタチごっこだけど、まあ、世間の関心が他の事件に移るまでの辛抱さ」
アーチーは複数台のパソコンを操作しながら言った。
「・・・さっきの会見後で、逆に増えちゃってるんだよねえ。希少価値が上がっちゃったかな」
ぽつりとアーチーが言うのを、サラは聞き逃さなかった。
「ごめん、私のせいで」
サラは思わず謝っていた。
「君のせいじゃないよ」
ちらりと一瞬だけ振り向いて、アーチーは言った。そしてまた直ぐにパソコンに向き直った。
サラは俯いた。考え込んだ。そして、眉をひそめた。
「・・・いいえ、私のせいだわ」
その言葉は、自虐的と言うより、まるで何かを発見したかのような驚きに満ちていた。
「私のせいなの。私が、やましいことがあるから・・・」
「やましいことが、あるの??」
アーチーが驚いたように振り返った。
「いいえ・・・私はやましいことなんか、ない」
「でも、今・・・」
困惑してアーチーが首を傾げる。
「自分がしてきたことには、恥ずかしいことは何も無い」
そう。
自分がしてきたことには。
サラが自分の名前を知られるのを恐れたのは、そこから母の事件に繋がることを恐れたからだった。
だが、それは、なぜだろう?
サラは唐突に、腹が立った。
自分の経歴に、やましいところなど、何も無い。
エクリーが気にしていたようなクレームの多さという問題点はあるかも知れないが、だからといって、成し遂げてきたことには、誇りと自信がある。
やましいことなど、無い。
恥じるような人生を、歩んできてはいない。
それなのに、なぜ、両親のせいで、探られたくないと感じなければならないのだ。
私が成し遂げたことを、堂々と人前で誇れないなんて、おかしすぎる。
私は、過去が、過去の亡霊達が、自分の未来を狭めるのを、許してしまっている。
もう嫌だ。
もう終わりにしたい。
ここ数日で出会った人々の顔が浮かんでは消えていった。
実子や里子に体を売らせていたジャンセン母娘(おやこ)。
夫と赤ん坊を虐待し、殺してしまった赤ん坊の死を隠すために火を放ったアレックス・ザグナー。
父親と姉から暴力を受け、少年を4人も殺害したスコット・ダビン。
親の人生に自分の人生を食いつぶされてしまった人たち。
でも、私は、父じゃない。
私は、母じゃない。
・・・私は、違う。
違う自分で、いたい。
私はモンスターにはならない。
この道を歩いてきた、自分を信じている。足掻いてきた自分の人生を、愛おしいと感じていた。
・・・そう、私は、私を、愛している。
苦しいこともあるが、その苦しさも含めて、それが私。私の人生。
父が、母が、過去の亡霊が、彼女の人生をこれ以上蝕むのを許すわけにはいかない。彼女の未来を、過去に、過去の亡霊達に、支配などされてたまるものか。
ブレンダの明るい笑顔。新しい両親に素直に甘え、それでも自分の過去と向き合っている、僅か十歳の少女。
ハワードの未来と希望を語っていた、光る瞳。拓けている未来を真っ直ぐに信じている、希望に満ちた目。
両足を失って尚、パラリンピックを目指すのだと熱く語ったスティーブン。
人は前に向かって生きるべきなのだと、彼ら自身が言葉では無く、生き方で、語っていた。
私はきっと、後ろばかり見すぎているのだ。
過去と向き合って折り合いを付けることばかり、考えすぎているのではないだろうか。
もっと前を向いて、立ち向かわなければならないことが、あるはずだ。
過去の亡霊ばかり気にしているから、未来に目を向ける時間が、きっと足りていないのだ。
彼らは決して、消えはしないだろう。それはずっと、サラの後ろに潜み続けるのは、間違いない。
しかし、彼らを追い払おうと振り向いて躍起になることは、それだけ、未来を見つめる時間を奪うことになる。
時には、彼らが自己主張をして、サラにその存在を意識させることがあったとしても、彼らの相手をする時間は、ほどほどにすべきなのだ。
そして、もっと未来を良くするために、頭も心も、使うべきなのだ。
・・・それがもしかしたら、ロビンス先生の言っていた、「受け流す」という事なのかも知れない。
前を見て。
未来を見て。
・・・幸せを、求めて。
私が今、手放したくない幸せは、ただ一つ。ただ一人。
グリッソム。
そして、彼との関係の「未来」に向けて、話さなければならないことが、まだ、残っていた。
サラはアーチーに「録音データをコピーしたら砂漠に埋める」とだけ言って、廊下に出た。
休憩室と彼のオフィスを覗いたが、どちらにもいなかった。
サラは携帯電話を取り出し、深呼吸を繰り返した。
そして、意を決して、番号を押した。
電話は三回コールした後、留守番電話に繋がった。
大きく息を吸い、サラは留守電に吹き込んだ。
「ギルバート。サラよ。今日、時間があるなら、その、会いたい。話しましょ。いろいろ、宙ぶらりんにしちゃってること、あるでしょ。・・・都合が分かったら、連絡して」
TBC.
