Episode 13.0 Mood swings(1)

Summary : GSR. Sequel to "Like Mother Like Daughter". /カリカリするサラと、その観察者グリッソム。グレッグは徐々に疑念を持ち始めていく。/ Irritating Sara and observing Grissom. Greg began to have doubts.

Spoilers :

Rating :K

AN : 怒ったサラの詰め合わせ(笑)。でもそれほど深刻な物はないのでご安心を(ジャンルに注目)。二人の喧嘩はあまりうまく書けないなあと避けていたのですが、ここにきていろいろとネタが浮かんできたので、挑戦してみました。時期としては、S6#18(IQ177)の前後になります。/ Their fights and arguments. Not too serious! Check the genre:) Time set around S6#18(The Unusual Suspect).


Chapter 1 : Round 1

サラは腕時計で時間を確かめて、何度目か分からない溜め息を吐いた。
「何かお持ちしますか?」
ウェイターが話しかけてくる。
サラは自分のテーブルの上を見回した。
紅茶にコーヒーにオレンジジュース、そしてトーストとサラダプレート。これで何とか2時間粘ったが、もう限界だ。
「いえ、もう結構」
そう断って、サラはカバンに手を伸ばした。財布を取り出してお金を抜き出して置く。
それから上着を掴んで、大股歩きでダイナーを出た。

車にたどり着くと、乱暴にドアを閉め、運転席にどかりと座り込む。
鼻息を荒々しく吐き出した後で、サラは携帯電話を取り出した。
開いて、着信を確認する。
0件。
留守電0件。
未読メッセージも0件。
センター預かり留守電も無し。

サラはしばらく携帯電話を手に逡巡したが、最終的に意を決し、電話を開くとラボの受付の番号を押した。
「ラスベガス鑑識です」
馴染みの薄い声が愛想良く応答した。早番の受付係は名前をなんと言ったっけ。サラは一瞬考えねばならなかった。
「あー、サンディ?夜番の、サラ・サイドルだけど」
「ああ、ハイ、サラ」
「あー、その」
サラは軽く咳払いをした。
「グリッソム・・・主任がまだラボにいるか、分かる?」
なるべく事務的に聞こえるように努めながら、サラは尋ねた。
「んー、ちょっと待って下さいね」
数秒後サンディは電話口に戻ってきた。
「帰宅になってますね」
「そう・・・ありがと」
サラは電話を切った。
帰宅途中に呼び出されたのなら、出勤表が帰宅のままになっていることは有り得る。
しかしそれなら、一言くらい、電話かメッセージがあっていいはずだ。
連絡できないような事態なんだろうか。
そう思ったとき、サラの胸は締め付けられるように痛んだ。
・・・何か、彼の身に起きたのだろうか。
ほんの一瞬、サラは目を閉じ、深呼吸をした。

落ち着いて、サラ。
落ち着くのよ。

車で何かあったのだろうか。事故か、あるいは・・・

サラは思わず、ブラス警部に電話して彼の車を追跡してもらおうと考えた。しかし、一度開いた電話をサラは直ぐに閉じた。

待って。
落ち着いて。それはかなりの騒動になるだろう。
その前にまだ、確認できることはないか?

そして、数秒考えた後で、まさかね、と思いながら、ある番号にかけた。

受話器の向こうの呼び出し音の回数を、サラはハンドルを指で叩きながら数えた。
11回まで数えて、サラは電話を切った。

留守電にならなかった。
と言うことは、家の電話は留守電が解除されているということだ。

彼が帰宅すると、いつも真っ先に留守電を解除するのを、サラは知っていた。
・・・彼は家にいるのだ。

サラは奥歯をギリっと噛みしめた。唸るような声を絞り出して、携帯電話をカバンに放り投げた。
ハンドルをぎゅっと握りしめる。
数秒間、きつく両目を閉じて、そして開いた。
エンジンを掛け、アクセルを踏み込む。
駐車場に、車が急発進する音が響いた。

信じられない。
一言も連絡なしに、デートをすっぽかすなんて。
あり得ない。
・・・許せない。

運転席の窓から道路を睨むサラの目には、怒りがたぎっていた。

******

激しく玄関のドアを叩き続ける音に、グリッソムは眠りを壊された。
重い頭と体を引き起こして、ブツブツと何かを言いながら、ドアを開けた。
腕組みをして、明らかに憤怒の表情で立っているガールフレンドに、グリッソムは首を傾げた。
「サラ?何をしてるんだ?」
「こっちのセリフよ!」
投げつけるように言って、サラはグリッソムを押しのけてずかずかと家に入っていった。
ドアを閉めたグリッソムは、怪訝そうにその後を追った。
サラがリビングに入ると、ハンクが尻尾を振りながら駆け寄ってきたが、サラは無視してグリッソムに勢いよく向き直った。そして、グリッソムの全身を見回して、眉を跳ね上げた。
「どういうつもり?」
再び両腕を胸の前で組んで、サラはグリッソムを睨み付けた。
「・・・は?」
ぱちくりと瞬きながら、グリッソムはサラを見た。
とりあえず、彼女がとても激怒していることは、直ぐに分かった。
今度は自分は何をしでかしただろうかと、グリッソムは光の速さで考えた。
しかし、何も思いつかなかった。
今朝のシフト明けまで、彼女は機嫌が良かった。笑顔で「お疲れ」と言い合って、オフィスで別れたのだ。
・・・また、例の「サイクル」だろうか?しかしあれが起こるにも、どんな些細なことでも何かしらきっかけがあるはずだ。
グリッソムは懸命に考えた。
しかしやっぱり、何も思いつかなかった。
「あー、サラ?何を怒ってるか、分からないんだが・・・」
サラは口をあんぐり開けた。
「本気で言ってるの!?」
「・・・ああ・・・」
「信じられない!」
本当にすっかり忘れているのだ。
信じられない。
「木曜日にデートしようって言ったのはあなたじゃない!」
「・・・そうだっけ」
「西のダイナーで食事して、映画観ようって」
「・・・そうだったかも」
サラは口をパクパクと動かした。
「信じらんない」
怒りのあまり、サラはそれ以上の言葉が出てこなかった。
グリッソムは頭を軽く掻いて、それからふと、首を傾げた。
「今日は、何日だ?」
「13日!」
サラは突き返すように言った。
グリッソムは少し唇を吸った。
「今日は、何曜日だ?」
「13日の、木曜日でしょ?」
サラが目を回しながら答える。
グリッソムは更に唇を吸った。
「今日は、13日の、水曜日じゃないか?」
「そんなわけ・・・」
勢い込んで言い返そうとして、サラは途中で言葉を切った。
視線が宙を彷徨う。
そしてゴソゴソと、カバンから携帯電話を取り出した。
日時を確認するのになんて便利なツールだろう。
携帯電話を開け、ディスプレイを眺め、数秒間固まった後、サラはそっと閉じた。

俯いたまま顔を上げないサラに、グリッソムは自分の記憶が正しかったことを知った。
「あー、サラ?」
サラは鼻を掻いたり、頬を掻いたり、首の後ろを掻いたりした。
「その・・・えっと・・・」
小さな声がする。両腕を組んでもじもじと足を踏み換えた。
「サラ?」
サラはがくりと項垂れた。
「ご・・・、ごめんなさい・・・」
消え入りそうな声で、サラは言った。
グリッソムは安堵の息を吐いた。
デートをすっぽかしたかと焦ったが、どうやらサラの勘違いで、彼の命は永らえた。もし本当にすっぽかしていたら、きっと今頃無事では済まない。
「最近、何日も連続勤務したり、忙しかったから・・・」
グリッソムは微笑しながら言って、サラを宥めようとした。
サラは恥ずかしさで顔を赤らめて、グリッソムをちらりと上目遣いで見た。
「ホント、あの・・・」
額を抑える。
「ごめんなさい」
「もういいよ」
グリッソムはそっとサラを抱き寄せた。
「明日また、ちゃんとデートをやり直そう」
サラはしばらく躊躇っていたが、グリッソムが肩をゆっくり撫でているうちに、ようやく全身の力を抜いて彼に寄り掛かった。
しかし直ぐにまた、体を起こしてグリッソムを見上げた。
「・・・さっき、デートの約束のこと、覚えてなかったわよね?」
「・・・明日になれば、思い出した」
とぼけたようにグリッソムは答えた。
サラは右の眉を上げて、不審そうにグリッソムをしばらく眺めていた。
「あー、それで・・・」
グリッソムは咳払いをした。
「デートは明日だが、・・・今日は、どうする?これから」
サラはグリッソムを見つめる目を細め、考える素振りをした。
そして、グリッソムががっかりしたことに、首を横に振った。
「なんか疲れた。もう寝る」
その言葉に、グリッソムはサラが玄関へ向かうものと思ったが、予想に反して、サラは真っ直ぐにベッドルームへ向かって歩いて行った。
「直ぐに?」
グリッソムその背に向かって声をかけると、サラは入り口で足を止めて振り返った。
「うん」
短く答えて、サラはベッドルームに消えた。
二人の間をオロオロとうろついていたハンクが、ちらりとグリッソムを振り返りながら、サラの後を追っていった。
グリッソムは少しがっかりして頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

まあでも、明日はデートだ。お楽しみが一日延びるくらい、なんとか我慢するさ。

自分に頷いて、グリッソムはベッドルームへ向かった。

******

何かが聞こえる。
グリッソムは眠りからぼんやりと目覚めた。
隣を見ると、サラが背を向けて丸くなって眠っていた。
耳を澄ませたグリッソムは、サラが何か寝言を言っているのだと気付いた。
左肘を着いて体を起こし、サラの顔を覗き込む。
サラは眉根を寄せていた。
・・・あまり良い夢を見ているわけでは無いようだ。
「・・・ママ・・・」
ほとんど声は掠れていたが、唇の動きで分かった。
グリッソムは押し殺した息を吐き、それからサラの頭をそっと撫でた。
サラの瞼が痙攣するように動いた。
「ママ・・・置いてかないで」
今度はよりはっきり声が聞こえた。
グリッソムは顔をしかめた。

以前にも、彼女が同じようなことを言うのを聞いた。彼女が高熱でうなされているときだ。
「事件」のあった日のことを思い出しているのだろうか。母親がパトカーに連れて行かれる夢だろうか?
その考えに、グリッソムの胸は痛んだ。

「ごめんなさい、ママ・・・いい子に、なるから・・・置いてかないで」
サラの閉じた目から、涙が流れ落ちた。
耐えきれず、グリッソムはサラの肩を揺すった。
「サラ、・・・ハニー」
サラはゆっくりと目を開いた。
「サラ・・・」
グリッソムはサラの頭を優しく撫でた。優しくキスを落とす。
「うなされていたよ。・・・大丈夫か?」
サラは無言で瞬きながら、グリッソムをじっと見上げていた。
まだ夢と現実がはっきりしないのだろうか。
ふと、サラは右手を上げて頬を触った。涙で濡れているのに気付き、慌ててゴシゴシと目をこすった。
それから、深い溜め息をついて、仰向けになった。
「悪い夢か?」
サラの額を何度も撫でながら、グリッソムは静かに尋ねた。
「ん・・・」
サラはまだどこか、覚醒しきらない様子で頷いた。
グリッソムがサラの額にそっと唇を押し当てると、サラはようやくグリッソムの目を見た。
それから、サラはゆっくり体の向きを変えると、グリッソムの体に擦り寄ってきた。グリッソムが腕を広げると、その腕に頭を乗せ、自分の左手を彼の胸に乗せた。
何も言わず、グリッソムはサラの背中をゆっくり撫でた。
「あれは、何歳だったのかな・・・」
ぽつぽつと、サラが話し始めた。
グリッソムは秘かに安堵の息をついた。話してくれるときは、良いサインだったからだ。
「あたしが怪我したのか、病気だったのか、あるいは母が怪我したんだったか・・・」
病院に行った記憶だろうか、とグリッソムが思ったまさにその時、
「病院の待合室で・・・」
サラが続けて言った。
「ジュースか何かを飲みたいって、あたしが言って・・・『待ってて』って母が言ったの」
サラはグリッソムの胸の上を、Tシャツの上から小さく丸く撫でていた。
正直その優しいタッチは、グリッソムの体に良からぬ反応をもたらしそうだったが、彼女の話に集中することで、グリッソムは何とかそれを回避しようとした。
「『いい子に待っててね』って。だからあたし、ずっと待ってた」
グリッソムはふと、話が見えた気がして、サラの背中を撫でる手を一瞬止めた。
「ずっと・・・待ってた。夜になって、看護婦が私に気付くまで、ずっと」
思わずちらりとサラを見て、それからグリッソムはまた背中を撫で始めた。
「警官が来て、・・・父が迎えに来た」
サラがぎゅっとグリッソムのシャツを握りしめた。グリッソムはその手を上から優しく握った。
「家に帰ったら、母は、何をしてたと思う?」
「家に帰ったら母はいなかった」とサラが言うのを予想していたグリッソムは、その質問に躊躇った。
「さあ・・・」
「床を、掃除してた」
そう言って、サラは大きな息を吐いた。彼女の温かな息が、シャツを通してグリッソムの体に伝わった。
「母は、何がしたかったのか、今でもさっぱり意味が分からない」
娘を置いて逃げたのなら、まだ納得出来る。夫の暴力に耐えかねてのことだと、まだ理解出来る。
しかし、母は夫のいる自宅に、一人で戻った。
途中で気が変わったのだろうか?逃げられるわけがないと怖くなったのだろうか?
それとも、せめてサラだけでも逃がしたかったのだろうか?
結局サラは、父に連れられて自宅に帰った。
そして父母は喧嘩を始めた。
母がどう釈明したのかも、分からない。父が激怒していたことは覚えている。そのことで、母自身がサラに何か説明したり謝ったりしたかどうかも、サラの記憶では定かではなかった。
サラは首を小さく振りながら、ますますグリッソムの体にすり寄った。
ほとんどしがみつくようにシャツを握りしめるサラを、グリッソムは強く抱き寄せた。

彼にデートをすっぽかされたと思って、待ちぼうけを食らった心細さが、引き金になってしまったのだろうか。そう思うと、彼に非は無かったものの、なんだか申し訳ない気持ちになった。
サラの髪に唇を落としながら、グリッソムは一方で、一つの謎が解けたように感じていた。

うわごとで言っていたように、サラは母親を求めている。
しかし、覚醒時のサラは、決してそれを認めようとはしなかった。彼女が示すのは、常に、母親への強い怒り、憎しみにも近い憤りだった。
愛していないとは言ったことはない。しかし母親を愛していると認めたこともない。
彼女の、その母親への複雑な感情の原因の一端が分かったと、グリッソムは思った。
置いて行かれた、「捨てられかけたのかも知れない」という不信感が、彼女の中にくすぶり続けているのだ。それが、父親を刺したという事件の大きさの影で、母親を理解しようとするのを妨げているのだ。
母親が「自分を守るためにした」と思いたくないでいることは、以前サラ自身が言っていた。それは両親の事件に、責任の一端を感じたくないというところからきているようにも思えたが、どうやらそれだけではないようだった。
「捨てられかけたことがある」という事実が、「母親が自分を守ろうとするわけがない」という否定に、拒絶に、繋がっているのだ。
彼女は少しずつ、自身の過去と類似する事件への思い入れを深めないで捜査に当たれるようになってきてはいたが、母親の話だけは、いまだに素直に出来ないでいた。
父親との思い出は、時折冗談さえ交えて話すようになっているというのに。
彼女がそこへ辿り着くまでは、まだまだ長い道のりが必要そうだった。
願わくば、手遅れにならないようにと、グリッソムは秘かに祈った。
そして、悲劇的なきっかけで、それに向き合わざるを得ないような事態にならなければいいが、と思い、グリッソムは微かに身震いをした。
背筋をゾクリと何かが駆け上がるような悪寒がしたのだ。
それは、以前よく、サラが彼の手をすり抜けていくような感覚を覚えたのとどこか似ていた。彼女との交際が長くなるにつれ、その感覚は薄れていったのだが、今感じたものは、とてもあの感覚と近かった。

グリッソムは小さく首を振り、サラの温もりを確かめるかのように、きつく抱き締めた。

「ギルバート?」
サラの微かな声がする。
視線をやると、彼女が顔を上げて彼を見ながら、小首を傾げていた。
「もう少し、眠ろう」
そんなサラの頭にもう一つキスをして、グリッソムはカバーを引き上げた。
二人はしばらく、お互いの静かな呼吸の音を聞いていた。
「明日のデート、出かけるのは、やめにしない?」
サラが顔を上げるのを感じて、グリッソムも目を開いた。
「どうして?」
サラは少しおどけたように肩をすくめた。
「だって、ダイナーには、今日行っちゃったし」
「君だけな」
「・・・意地悪」
サラはわざとらしくむくれてみせた。
「いいけど・・・じゃ、何するんだ?」
グリッソムが尋ねると、サラがごそごそと動いた。そして、誘惑するような声で言った。
「ずっと、ベッドで過ごすってのは、どう?」
彼女の脚が、グリッソムの脚に絡みついてくるのを、グリッソムははっきり感じた。
「おおう、相変わらず冷たい足だな」
「女は冷え性なの」
「明日じゃ無くて、今日でも・・・」
「今日はやだ」
すげない返しに、思わずグリッソムは唇を尖らせた。
「私が講義に行く前に、普通のデートがしたいと、君も同意してくれたと思ったんだがな」
「そうだけど・・・」
サラは溜め息をついた。
「あの辺りにも、見知った警官がいるし、・・・誰かに見られるかもしれないもん」
次はグリッソムが溜め息をつく番だった。
「なあ、サラ。それじゃあいつまで経っても、普通のデートが出来ないよ」
グリッソムは自分のお腹の上のサラの手を取って、唇に運んだ。サラがくすぐったそうに微かに笑う。
「それに、あの映画、観たいんだけどな・・・」
グリッソムは二日後、シアトルへ三日間の予定で講義をしに行くことになっていた。その前にデートをしようという話になり、ここのところ家の中でしか過ごしていなかったので、外で過ごしたいとグリッソムが言ったら、サラも消極的に同意したのだった。
ちょうどディズニーの「南極物語」の公開が始まったところだった。それを観たいと言うと、「ディズニー!?」とサラは目を白黒させていたが、グリッソムが「アニメではない」と説明し、日本の実話だと、史実を解説するうちに、納得したのだった。もっとも、サラにとっては、グリッソムの解説だけで充分満足だったのだが。
「・・・分かった」
しばしの沈黙の後で、サラは頷いて言った。
「勿論、映画の後は、ベッドタイムで異論は無い」
グリッソムが言うと、サラはグリッソムを振り仰いで見た。
そして口元に笑みを浮かべながら、グリッソムの顎髭を引っ張った。
「にやつかないの」
「君が先にベッドの話をしたんだぞ」
「うるさい」
尚も髭を引っ張る彼女の手首を掴んで、グリッソムは体を入れ替えた。
サラはあっという間に、グリッソムに組み敷かれていた。
「明日まで待ちなさい、虫博士」
「・・・それでもし明日、邪魔が入ったらどうする?」
サラはふっと真剣な表情をして、グリッソムを見上げた。
そして指先でそっと、彼の顎のラインをなぞった。
僅かの間目を閉じ、そしてサラは小さな吐息を吐いた。
「・・・今は、ダメ」
サラの声には、申し訳なさが溢れていた。彼女がそう言う理由は、グリッソムにも分かっていた。
うなされるような夢を見た。それを忘れるために、縋るように彼との肉体の接触を求めるのは、彼女の主義に反するのだろう。かつては、それでもその欲求に身を任せることがあったが、最近では明らかにそれを避けているのが、グリッソムにも分かっていた。
グリッソムは頭を落とし、枕に顔を埋めた。低い呻き声を放った。
「・・・分かってる」
そして彼女の頬に軽く口づけて、体を起こし、仰向けに倒れ込んだ。
「もう少し、眠る?」
そんなグリッソムにもう一度体をすり寄せながら、サラが聞いてきた。
「そうだな・・・」
彼女の腕をさすりながらグリッソムが呟くように言う。
しかしサラは、がばっと起き上がると、
「あたし、目が覚めちゃった」
そう言ってくるりと向きを変え、ベッドを降りた。
「サラ?」
「ハンクと、散歩に行ってくるわ」
「散歩」の言葉に、ベッドの足下で横たわっていたハンクが、頭を勢いよく持ち上げた。
グリッソムはちらりと窓を見た。分厚い遮光カーテンの隙間から、柔らかな午後の日差しが漏れている。
「私も行くよ」
そう言ってグリッソムもベッドから降りた。そして口笛を吹く。
「おいで、ハンク」
ハンクはベッドを飛び降り、グリッソムが開けたドアから走って出て行った。
バスルームで歯磨きを始めながら、サラはグリッソムが着替えるのを微笑みながら見ていた。

******

グリッソムはハンクのリードを握りながら、公園を歩いていた。
「朝食」も食べずに出た二人のために、サラが近所のコーヒーショップで何か買ってくるのを待っているところだった。
ハンクは草むらを嗅いだり、子供を追いかけようとしたり、他の犬と飼い主がフリスビーを投げているのに参加しようとしたり、気ままに動き回っていた。
彼を飼い始めたとき、生後8ヶ月を過ぎていて、すでに体は大きかったが、リードを引く力はこんなに強かっただろうかと、訝しみながら、グリッソムは歩いていた。
公園は夕方の客でごった返していた。散歩をしているカップル、芝生を駆け回っている家族連れ。若い女子学生が二人、ジョギングでグリッソムを追い越していった。
蛍光色の短いパンツが黒いスパッツの上で揺れるのを見送りながら、グリッソムは「あれなら車のライトに反射して安全だな」などと考えていた。
サラが夜一人でハンクと散歩する時、ああいうのを身につけさせた方がいいだろうか?
・・・彼女のお尻が、蛍光色に揺れるのを、グリッソムはふと妄想した。
突然、愛犬が立ち止まり、後ろ足で立ち上がった。
二度吠えて、前足を二度地面に着いて跳ねた後、ハンクは勢いよく走り始めた。
グリッソムは慌てて我に返ってリードを引こうとしたが、間一髪遅かった。
ハンクはグリッソムを引き離し、リードを引きずって、公園を走って横切った。
「ハンク」
笑顔で呼ぶサラに、ハンクは駆け寄り、彼女の周りをぐるぐると回って、吠えた。
「Good boy, Good boy」
声をかけながら、サラは何とかリードを掴んだ。
「ダディーを置いて来ちゃったの?ん?」
顔を両手で挟んでぐりぐりと撫で回す。ハンクはサラの顔を舐めた。
芝生をサクサクと踏んで近づく足音に、サラは顔を上げ、そして微笑んだ。
「追いつくのに一苦労だ」
グリッソムが苦笑しながら立っていた。
「お待たせ」
グリッソムの差し出す手を取って、引き上げられるままに、サラは立ち上がった。
そして二人は軽く口づけを交わした。
「マフィン買ってきた」
「・・・だろうと思った」
グリッソムは小さく首を傾けながら言った。
「君のお気に入りだからな」
「あそこのマフィン、美味しいんだもん」
言いながら、サラはリードをグリッソムに返し、そして手に持っていた紙袋の中から、マフィンを1つ、取り出した。
「食べる?」
「向こうのベンチまで行こう。確かテーブルがあった」
「はむ」
サラの変な声の返事に、グリッソムがちらりと見ると、サラはもうマフィンに齧り付いていた。
グリッソムが窘めるように眉を上げると、サラは笑いながら、グリッソムの左腕に、自分の右腕を通した。
そして、もう一口マフィンをかじった。

ソフィアは警官達と話をしていた。何人かに指示を与え、それから公園をぐるりと見回した。
とても治安の良いこの地域だったが、最近露出狂が出るとかで、つい先ほども通報があり、呼び出されたのだった。
「春近し、だものねえ・・・」
苦笑交じりに独り言を呟き、ソフィアは周囲を見回した。
のどかな午後の公園。
ソフィアは思わず溜め息をついた。
本来は殺人課の刑事の仕事ではないが、ちょうど手が空いていたので回された仕事だった。あまり気が向く仕事でも無かったが、ショックを受けた少女達の話を思い出すと、やはり捕まえてやりたい気持ちにもなるのだった。
やはり自分はCSIより刑事が向いているのだな、などと思いながら、現場付近を歩き回っていた。
ふと遠くを見たときに、見間違えようのない人物を見かけて、ソフィアは思わず足を止めた。
「そう言えば、住所、この辺りだったかしら・・・」
刑事になっても、独り言を言う癖は変わらない。
ソフィアはやや首を伸ばして、その人物を確認しようとした。
彼は犬を連れて歩いていた。
「犬、飼ってるんだっけ?」
大きなボクサー犬は、むしろ彼を引っ張るようにして歩いていた。
彼の珍しいジーンズ姿に、ソフィアは目を逸らせずにいた。
そのとき、犬が突然彼を振り切って走り始めた。
犬の行き先を目で追うと、長身で足の長い、紺色のニット帽を被った黒髪の女性が、しゃがみ込んで犬を迎えるのが見えた。
・・・彼女も、見間違えようがない。あのスタイル。あの髪のウェーブ。
犬を捕まえ、じゃれている彼女に、彼が近づく。
彼女が顔を上げ、彼が手を差し出すと、彼女はそれを躊躇無く取って、立ち上がった。
ソフィアは苦笑した。
「思ったより、平気ね」
二人の仲むつまじさを目の当たりにしても、それほどショックを受けていない自分に気付いたのだ。
「私って結構切り替え早いかも」
だがその言葉は途中で飲み込まれた。
立ち上がった彼女と、彼が自然な流れでキスを交わすのが見えたからだ。
彼女が彼の腕を取り、その腕に寄り掛かるようにして歩いて行く。
彼女が何か言ったのか、彼が肩を揺らして笑うのが見えた。
ソフィアは思わず首を横に振った。
・・・サングラスをしていて良かった。
なぜかその言葉だけは、声にならなかった。


CONTINUE?