Episode 9 Letting in
Chapter 4 Gray Hair(2)
ERで事情を説明すると、すぐに脱水に対する処置で、点滴が始まった。インフルエンザ検査のために血液も採取した。
「家族の方ですか?」
ナースに聞かれ、グリッソムは一瞬躊躇した。すぐ側にニックがいることを思い出した。
「あー、上司です。緊急連絡先に指名されてます」
「家族の方はいないんですか?」
「彼氏がいるはずですが」
ニックが隣から口を挟んだが、グリッソムはそれを無視するように遮った。
「母親は遠くにいるので。私が聞くことになってます」
ナースはグリッソムに向かって説明を開始した。
インフルエンザ等の検査結果が出るまで、解熱鎮痛剤はまだ点滴出来ないこと、全ての結果が出るまで2時間ほどかかることなどを話した。
「彼女、なにかアレルギーは?」
「ない」
「持病は?」
「ない」
「妊娠の可能性は?」
グリッソムは数秒固まった。思わずニックと顔を見合わせたが、それのおかげで、うっかり「前回」は2週間前で、その後セックスしたと言ってしまうのを防げた。
「ああー、それは、分からない」
そう言うのが精一杯だった。
「恋人がいます」
ニックが横から口を挟んだ。
「じゃあ念のためそれも検査しますね」
グリッソムは無言で頷いた。なぜだか冷や汗が出てきた気がした。
医師とナースが出て行って、グリッソムは静かにベッドの側の椅子に腰を下ろした。
ベッドでは、サラが浅い呼吸をしながら眠っていた。
ふと、グリッソムは顔を上げてニックを見た。ニックはウロウロとベッドの横を歩き回っていた。
「ニック、君はもう帰っていい」
ニックは足を止め、サラとグリッソムを見比べた。
「あー、でも」
「もう帰って休め。後は・・・私が面倒見るから」
一瞬俯き、ニックは「分かりました」と離れて行きかけた。
だが、すぐに足を止めて振り向いた。
「グリッソム、サラの手首・・・見ましたか?」
グリッソムは思わずベッドのサラを見下ろした。その両手首の痣が、うっすらと見えていた。
しまった、と舌打ちをしかけて、辛うじてこらえた。
「まさか、誰かに、襲われたんじゃ・・・」
ニックの深刻そうな声に、グリッソムはしかし図らずも感心した。
さすがだ。どんな付け方をされた痣か、形状から見抜いている。
いや感心している場合ではない。
グリッソムはサラの手首を、じっと観察するかのように見つめた。
実際には、言い訳を必死で考えていた。
「彼氏が・・・付けたのかも」
自分で言うのは馬鹿馬鹿しかったが、そう言うのが精一杯だった。
「でも・・・」
まだ不安そうに、ニックはサラを見ていた。
「何か、最近、気になる様子はあったか?落ち込んでるとか」
グリッソムはなるべく落ち着くよう自分に言い聞かせながらニックに尋ねた。
ニックは腕を組んでしばらく考えた。
「いえ・・・最近ずっと、楽しそうでした。今日もご機嫌だったって・・・まあそれは熱のせいかもしれませんけど」
グリッソムは安堵したように、ニックを見た。
しばらくそのグリッソムを見返した後で、ニックはようやく溜め息をついて腕組みを解いた。
「まあ、そうですね。彼氏・・・かな」
肩をすくめて苦笑するニックに、グリッソムはゆっくり頷いた。
「一応・・・このことは、他の人には言わないでおいてくれ。・・・真偽がはっきりするまで」
ニックは、グリッソムがなぜか躊躇いがちなのを不思議そうに見た。そしてふと生真面目な顔をすると、ベッドに両手を着いてグリッソムを覗き込んだ。
「もし、彼氏が乱暴なヤツなら、止めさせないと」
グリッソムは軽く奥歯を噛んだ。
「ああ」
やめさせる。直ぐにでも。やめる。もう二度と、しない。
「・・・分かってる」
「サラがこういうことをあなたに話すとは思えないですが・・・」
「ニック」
グリッソムはニックを優しく遮った。
「分かってる。だが、トライさせてくれ」
ニックはグリッソムを見つめ、それから一つ頷いて、立ち上がった。
「分かりました」
「もしもの時は、協力を頼む」
「ええ、もちろん」
にこりとニックが笑ったとき、彼の携帯電話が鳴った。
「あれ、キャサリンだ」
グリッソムは目線で行くよう指示した。ニックは軽くサラの肩を二、三度叩いてから出て行った。
「んん・・・」
サラが僅かに唸って身動ぎをした。
グリッソムはようやく、サラの手を握った。
「サラ・・・ハニー」
「ギル・・・」
目を閉じたままで、サラは囁くように言った。
「どこにいるか、分かるか?」
「病院」
「目を開けないでも分かるのか?」
「臭いと音で分かる」
そう言ってサラは軽く咳をした。
そっと背中を撫でると、直ぐに落ち着いた。
「なに?インフル?」
体を横向けながら、サラはやっと目を開いてグリッソムを見た。
「まだ検査中だ。それが出てから、使う薬を決めるらしい」
サラは浅く溜め息をついた。
「具合はどうだ?」
「頭がぼーっとして、喉が痛くて、関節が痛い」
「吐き気は?」
「しない。ていうか食べてない」
「またか・・・」
グリッソムは溜め息をついた。
「ごめん」
「いつから具合悪かったんだ?」
サラが下唇を突き出す。
「シフト始まったときから」
また盛大に溜め息をついて、グリッソムは肩を落とした。
「私が出るとき、もうそうだったのか?」
サラは小さく首を振った。
「鼻声だとは思ったけど・・・寝起きのせいかなって」
「今日のシフトは休むんだ。いいな?」
サラはちらりとグリッソムを睨んだが、何も言わなかった。
グリッソムはそっとサラの髪を撫でた。サラはまた目を閉じてうたた寝を始めた。
彼女の手を握って待っている間に、医師がやってきて、インフルエンザは陰性だったと告げた。
「扁桃炎ですね。妊娠検査もネガティブなんで、今から抗生剤と解熱鎮痛の点滴を入れます」
サラが突然目を見開いた。
「妊娠検査?」
グリッソムは思わず眉を掻いた。
「あー、可能性があるかと聞かれたので、分からないと答えたんだ」
あるわけないじゃない、と言いかけたサラだったが、なんだかますます体が重くなった気がしてやめた。ネガティブ、という結果を、彼はどう受け止めたのだろう、とも一瞬頭をよぎったが、それを考えるのも今は億劫だった。
「分からないときは、調べるのが規則なので。じゃ、この点滴が終わったら帰れますからね」
サラの点滴バッグに何種類かの薬剤を注入し、医師はグリッソムの方を見た。
「抗生剤の処方箋を出しますから必ず飲みきってください。あと、解熱鎮痛用に座薬も出しておきましょう。その喉じゃあ、大きなカプセルを飲むのはつらいでしょうから」
カルテに何かを記入すると、医師は去って行った。
「・・・座薬?」
顔をしかめたサラを見て、グリッソムは両方の眉を上げた。
「座薬?」
繰り返すサラを、グリッソムは笑わずにはいられなかった。
************
1時間後、病院を出たグリッソムは、サラを連れて自分の家に向かった。
薬局で薬を受け取り、途中でハンクを拾った。彼はサラの異変を感じてか、後部座席で神妙にしていた。
サラは家に入ると、ふらふらとソファへ近づき、そこに横になった。ハンクがそばで鼻を鳴らした。
グリッソムはいろいろと片付けてから、サラの元へ行った。
「何か、食べられそうか?野菜スープ作ろうか?」
「喉が痛いから無理」
掠れた声で呟く。そうか、と頷いて、グリッソムはサラの体を起こした。
「ベッドで寝なさい」
「ねえ、ギルバート」
「何だ?」
「どんなドレスが好き?」
グリッソムは額を軽く抑えた。
ロイス・オニールの衣装部屋を見たせいなのだろうか?さっきオフィスでもそんなことを聞かれた気がする。
「その話はまた今度しよう」
「あー、ずるい」
「さあ、ベッドへ行こう」
サラの体を支えながら寝室へ向かう。
ベッドに横たえてカバーを掛けると、すでにサラは寝息を立てていた。
その僅かに浅くて早い呼吸を、しばらく見つめてから、グリッソムはそっと寝室を出た。
ハンクが扉の前でウロウロしていたが、
「今日はダメだ」
そう言うと、鼻をきゅうんと鳴らして、ハンクはリビングに戻っていった。
自分の食事を終え、ハンクの散歩へ行き、食事をやり、裏庭でトイレをさせて、彼が自分の寝床に入ったのを見届けて、グリッソムはやっと寝室に戻った。
静かにベッドに座り、サラの額に手を当てる。まだ解熱剤を追加する必要は無いようだ。
・・・彼女、自分で出来るのだろうか?
ふと考えて、グリッソムは苦笑した。
さすがにそれは、自分でやって貰わないと困る。
サラの額にそっと口づけてから、シャワーを浴びようと、ベッドを下りかけた。
その腕を、サラの手が掴んだ。
「行かないで・・・」
グリッソムの表情は一気に緩んだ。
「行かないで、・・・」
その後僅かに動いた唇に、グリッソムは顔を近づけた。
「サラ?」
「行かないで、ママ」
グリッソムは思わずサラを凝視した。
「ママ・・・、痛いよ、ママ」
サラの瞼が震えた。直ぐに、涙が一滴、眦からすっと流れ落ちた。
「ママ、置いてかないで・・・」
サラの手が何かを探すかのように宙を彷徨った。思わずグリッソムはその手を握り、ベッドに戻るとカバーに潜った。
サラの体を抱き寄せ、頭を胸に抱きかかえた。
「大丈夫だよ、サラ・・・大丈夫だ」
優しく背中を撫で続けながら、グリッソムの目にも涙が浮かんでいた。
彼女は母親に、守ってもらえたことがあるんだろうか?
安全なはずの家庭で、安心を感じられる瞬間が、果たしてあったのだろうか?
彼自身も、ずっと幸福な幼少時代を過ごしたわけでは無い。母の難聴、父の早世。決して平穏無事ではなかった。だが、彼には必要な愛は常に注がれていた。彼はそれを疑ったことはなかった。
もしそれを信じられなくなったとしたら、自分という人間はどうなってしまうのだろうかと、グリッソムは思い、暗澹たる気持ちになった。
幼い彼女が熱を出したとき、両親はどうしていたのだろう。彼女が怪我をしたとき、彼らはどう彼女を扱ったのだろう。ましてそれが、父親が付けた傷だったなら。
児童養護施設では、安心など感じられなかっただろう。
里親の元では、感じられたこともあったかも知れない。しかし、それを失うような何かが起こった。彼はもう、その真実はどうでもいいと感じていた。少なくとも、彼の最も恐れていた事は、起きていなかった事だけは分かった。それだけで、もう十分だった。彼女が里親の離婚に自責の念を感じているのだけは気になるが、それを追及したところで、きっと彼に出来ることは何もない。
安全な家を失って、母親と気まずい一年を過ごし、逃げるように東部の大学へ進んだ。
大学の寮で初めて得た親友は、悲劇的に失った。
彼女には、安息の「家」が常になかったのだと、グリッソムは改めて思い知った。
彼はそれを、与えられているのだろうか。
彼と二人きりの、小さな小さな世界。そこで彼女は、安全を、安心を、感じてくれているのだろうか。そこに閉じこもりたがるのは、それを与えられている証拠になるだろうか?
聖域、サンクチュアリと言ったヘザーの言葉が思い出された。
だから彼女は、まだそこから出たくないのだ。それを壊したくないのだ。
安心だと感じたいから。安全だと感じたいから。守られていると感じていたいから。
それが十分に感じられたら、きっと彼女はまた一歩踏み出す勇気を持ってくれるだろう。
彼の部屋に、着替えを置き始めたように。
シャンプーを、置き始めたように。
************
サラは熱いシャワーの下に入った。やっと熱が下がり、二日ぶりのシャワーだった。
頭をじっくり洗い、体もじっくり洗ってから、ようやくシャワーを出た。
歯ブラシを取り出したが、数秒それを見つめて、それをゴミ箱に落とした。しゃがんで棚から新しい歯ブラシを取り出す。
立ち上がる前に歯ブラシが入っていた箱を捨てようとして、ふと、サラは首を傾げた。
ゴミ箱に、見慣れないボトルが入っていた。
ボトルを少し持ち上げてみる。かなり重い。
これ、まだ中身入ってるんじゃないの?と思いながらラベルを見て、サラは眉を上げた。
・・・白髪染め。
思わずバスルームの扉を振り返る。
グリッソムはまだベッドで寝ているはずだった。
・・・白髪染めが、なんで、ほとんど未使用で、捨ててあるんだろう?
疑問に思いながら、立ち上がって歯磨きを始める。
数分歯を磨いているうちに、サラは思い出した。
白髪をマジックで塗ろうとしていたホッジス。
--白髪はチャームポイントなのよ。
ああ。
サラは思わずニヤリと笑った。
・・・気にしてたんだ。
あたしは全然、気にしてないのに。
いや、彼が年齢差を気にしているのは知ってる。それがずっと彼の言動の足枷になっていたことも。
でも、本当に、グレーヘアーの彼は、セクシーなんだから。
最近は髭も少し白くなってきたけど。
ああ、そっちを染めたかったのかしら。
サラは笑みを深めた。
それもいっそう、彼の魅力を増してるんだけどな。
・・・伝わって、良かった。
歯磨きを急いで終えると、サラはベッドに飛び乗った。
「サラ・・・?」
目覚め始めたグリッソムの上に乗り、サラはグリッソムに夢中でキスを落とした。
「・・・んー、サラ・・・」
夢見心地でそれを受けていたグリッソムだが、サラがカバーを剥いで彼のパジャマに手を掛けたとき、一気に目を覚ました。
「サラ、まだ止めといた方がいいんじゃないか?」
彼女の両手をそっと掴む。
不満そうに、サラはグリッソムを見下ろした。
ちらりと時計を見る。そして溜め息をついた。
「調子はどうだ?」
「最後にざや・・・解熱剤、使ったのが18時間前で、その後熱は上がってない」
座薬、と言いかけて咳払いをしたサラに、グリッソムは小さく笑った。
「喉は?」
「柔らかくて熱すぎないものなら飲み込めそう」
「それは良かった・・・野菜スープを作ってあげるよ」
ホッとして言いながら、グリッソムはサラの両手首をなぞった。
「ニックが痣に気付いて心配してたぞ」
「・・・何て言ったの?」
「なんでついたか、一応聞いてみる、と」
「何て言うつもり?」
からかうように言って、サラは首を傾けた。
「・・・どうしたものかな」
「彼氏が付けたってあたしから言っとくわ」
クスクスと笑いながら、サラはグリッソムの顎髭を指先でゆっくり撫でた。
「それはそれで、心配されるぞ」
「どうして?」
「・・・乱暴な彼氏かと」
サラは一瞬動きを止めた。何か言いかけて、それを飲み込んだ。彼の何かを恐れるような瞳の色に気付いたからだった。少し考えてから、サラは笑って言った。
「そういうプレイだったって言うわ」
グリッソムは思わず両方の眉を上げた。
「事実でしょ?」
からりと言って笑い、サラはグリッソムの髭に何度も唇を押し当てた。
「んー、あなたの髭、好き」
サラの鼻息が首に掛かって、グリッソムは思わず身をよじらせた。
「時間が足りないよ」
彼がそう言った瞬間に、目覚まし時計が鳴り始めた。
サラは思わずそれを乱暴にはたいてアラームを止めた。
「スープ、作るよ」
むくれている彼女の頬に軽くキスをして、グリッソムはベッドから下りた。
諦めて、クローゼットを開けたサラを見ながら、グリッソムは言った。
「今日の仕事はあまり無理するなよ」
「はいはい」
引き出しから着替えを取り出しながら、サラは面倒くさそうに答えた。
「現場捜査はなるべく回避するよう、キャサリンに言ってあるから」
「配慮に感謝するわ、『グリッソム』」
口角を上げて振り返り、サラはわざとその名で呼んだ。
彼が二人の時にそう呼ばれるのを嫌がっているのを、分かっていてわざと彼女は使うのだ。
グリッソムは溜め息をつきながら寝室を出て行った。
「心配だからって見に来なくていいからね。非番でしょ?」
サラは振り返ったグリッソムに笑って手を小さく振った。そして扉を閉めた。
TBC.
AN : サラが「妊娠してるわけがない」と思ったのには理由があります。少ししたら、長編を予定していて、そこで、多分それもテーマになってくると思います。とはいえ、ヘビーな理由ではありませんのでご安心ください。
