part 2 昼下がりの主婦

ビルから出ると、昨日の男が当然の様に待っていて、帰国後の初出勤は運転手つきの車でとなった。

情報課への復帰は内示と出勤が同時だったにも関わらずスムーズに行った。旧知の刑事たちが多く、就任の挨拶まわりを済ませて自分に宛がわれた机に着く頃にはすっかり昼時になっていた。

「月くん」

情報課のドアから僕を呼んだのは、他課に居心地悪そうにしつつも嬉しそうに微笑む、久しぶりの顔だった。

「松田さん・・・」

「お昼、どうかなって思って」

松田さんに連れてこられたのは、安価ながらもボリュームのある定食を出す居酒屋だった。店内には焼酎を多く並べてあり、店の夜の雰囲気が容易に想像できた。

「いいでしょ、ここ。ちょっと庁から歩くけど、安くてたっぷり食べられるし、何より知った顔がいないからゆっくりできるんだよ~」

でも、サボるとかじゃないから、と焦ったように付け加える松田さんに、思わず顔が緩んだ。松田さんのこう言うところは、ある意味才能だと思う。刑事としてはマイナスかもしれないが、彼の気を張らない自然体に和んだ。

済んだ皿を下げられ、代わりに置いていったお茶を飲んでいると、松田さんが躊躇いながら僕の名前を呼んだ。

「月くん。あの・・・」

言い淀んで、その先が続かない松田さんを促した。

「松田さん、どうしました?」

「ごめん!昨日月くんを、あっと違った、夜神刑事を自宅に送るのは僕の役目だったんだ」

「月でいいですよ。庁じゃありませんし。それで、昨日は正門で僕を待っていたけれど、地下の駐車場から出ると男に言われて移動した、とか?」

「・・・月くん、良く分かったね」

「多分そんな事だろうと思ってましたから」

「幾ら待っても月くんが来ないし、次長に電話しても繋がらないから、直接部屋に行ったら次長が電話の相手に怒鳴っていて・・・」

昨日は誰とも話す気がなくて、家には連絡しなかった。携帯には父と自宅からの着信が残されていた。父は朝からの会議でまだ顔を逢わせていないが、午後に面会の予定があった。あの父の事だ。内容は予想がついていた。

「また月をキラに仕立てたいのかって・・・。次長があんなに怒るの始めて見たよ。電話の相手は竜崎なんだろう?昨日、月くんを連れて行ったのも」

「えぇ」

湯飲みに写る自分を見た。ゆらゆらと像が揺れ、情けない顔になっている。

「・・・また一緒に住むことになりました」

「どうして?キラはもういなくなったのに」

キラ復活と思われる情報はまだ一部の人間にしか許されていなかった。以前、一緒にキラ事件を捜査し、現在は相沢さんが束ねる捜査一課所属の松田さんとは言え、それは同じ。

「さぁ・・・、竜崎の考えていることは、僕には分かりませんから」

捜査本部で彼の考えている事が正確に分かるのは自分だけだった。一緒に暮らすようになり、彼の事を知るのが、近くに感じられるのが嬉しかった。

だが、それはキラ容疑者である僕のために作られた彼だったけれど。

*** *** ***

退庁後、再び車に迎えられてビルに戻った。車に送迎されての出勤は色々と厄介だが、通勤電車に揉まれなくていいと言う利点を見る事にした。無口なドライバーもタクシーとは違って余計な会話に巻き込まれなくていいかもしれない。

「おかえりなさい」

「・・・いたのか?」

リビングのソファーに座る竜崎を見下ろした。床には無秩序に資料を散らしているが、テーブルの上はいつもの端末と数種類のケーキと紅茶。偏食は相変わらずのようだ。

「月くん、夕食はどうされます?まだでしたら、ワタリに何か用意させますが・・・」

「食べてきた」

僕の部屋はリビングを通り過ぎた先にある。資料を踏まないようにして部屋に入った。

明かりをつけた部屋の扉に凭れる。溜息が口を突いた。同居から2日目だが、既に疲労を感じていた。すぐにベッドに倒れ込みたいが、まずはやる事を済ませなくては今夜も眠れない。

ジャケットとネクタイをクローゼットに仕舞い、鞄から借り受けた機材を取り出した。

スィッチを入れると、すぐにメーターの針が大きく振れた。片側にしか寄らない針に眉を寄せた。分かってはいたが気持ちのいいものではない。

部屋の壁を上から下へと丹念に調べ、監視カメラ、盗聴器の存在を調べる。次の壁に移り、既に置かれていた家具、換気口まで調べ上げた。見つけた監視機器は、放り投げた床に小さな山が出来ていた。

隅々まで調べた室内には、よくここまでと感心するほどの監視機器が設置されていた。両手で抱えてリビングに運び出す。そこでは、竜崎が詰まらなそうにケーキを食べていた。抱えていた機器を彼の前にどさりと落とした。

竜崎はフォークを咥えたまま、眼の前にばら撒かれた機器を疎ましそうに眺める。

「僕がアドバイザーなら必要ないだろ。毎日、帰宅後に仕掛けられてないか調べるから」

「月くんの安全のためです」

ケーキの皿に崩れたカメラをフォークで退かす竜崎。

「安全?誰から襲われると言うんだ?こんなセキュリティの厳重なビルの中で。入り込める人間だってたかが知れてる」

「・・・絶対とは言い切れません」

「それに、僕が最も警戒しなくちゃいけない相手はお前だろう?」

竜崎の反応を見る必要は無い。踵を返して、部屋に戻った。

*** *** ***

翌朝は、日本に来て久しぶりに快適な目覚めだった。監視のプレッシャーからの解放感で良く眠れた。

だが、せっかくの爽快も長くは続かなかった。朝食の準備にキッチンに向かうと、そこには既に竜崎がいた。椅子の上に器用に座って、薄いクリーム色で満たされたカップを啜っていた。僕の朝は早いのに、もう彼がいる。起きたと言うより眠らなかったのだろう。昨日よりも隈が濃い。

竜崎の存在を認めはしたが、何も言葉は交わさず冷蔵庫を開けて朝食の準備に取り掛かった。住まう人数には相応しくないほど大きい冷蔵庫には、容量の半分をケーキやプリンなどの甘いものが占め、残りの半分は食材で埋められていた。なんでも作れそうな中身に、竜崎に仕える、気の利く老人を思い出させた。

パンをトースターに放り込み、フライパンを取り出して簡単な料理を作り始めた。

この数日で僕の態度をはっきりさせたはずなのに、出来上がった朝食を食べる僕の向かいに竜崎が座っている。僕が食べ始めるのを見て、冷蔵庫からケーキを取り出して僕と一緒に食べていた。

「・・・何のつもりだ?嫌がらせか?」

「食事は一緒に取るものだと、教えてくれた人がいましたので」

*** *** *** *** ***

「・・・竜崎、聞いていいか?毎食、食事はこれか?」

レストランで用意された様な見目美しく整えられた食事も、毎日毎食では飽きる。普通の家庭料理が食べたい。手錠から自由になって、その思いはいっそう強くなっていた。

「お気に召さないようでしたら、食べたいものを教えてください。用意させます」

竜崎はキッチンに置かれた狭い椅子の上に、いつもの座り方をして、メープルシロップの海で泳ぐホットケーキを食べていた。

「鍋とフライパン」

「・・・食べるんですか?」

「料理するんだよ。当たり前だろ」

「月くんに作れるんですか?」

摘み上げたフォークからシロップを滝のように垂らしながら口に運ぶ竜崎に呆れてしまう。手錠で繋がっていた時に思い知らされたが、つくづく竜崎の食べ方は良いとは言えない。

「失礼な奴だな。授業で作った事もあるし、母の手伝いはよくしてたしね。あ、ついでに料理のレシピ本も頼んでいい?」

「はぁ・・・」

「ところで、竜崎、食べられないものはある?」

「私の、ですか?」

「他に誰かいる?どうしても食べられない物はあるからね」

「・・・甘味以外は好みませんが・・・。あの、月くん、私の分も作って頂けるんですか?」

「当たり前だろ。せっかく一緒に暮らしているんだから、時間が合うなら食事も一緒に取ろうよ。あ、忙しい時は教えてね。お前の分はラップしておくから」

「・・・ありがとうございます。調理器具は用意させておきます。それでは、私はこれで・・・」

カップを傾けて中身を飲み干す。どろりとカップの底に残った、コーヒー風ミルクに浸った砂糖が竜崎の口に落ちていく。最後にぺろりと猫みたいに唇を舐めて、本日の朝食と言うか朝の甘味を終えた竜崎は、のそりと椅子から立ちあがった。

「・・・ちょっと待て。ごちそうさま、は?」

そのまま部屋に向かおうとする竜崎のシャツの首を掴んだ。

「・・・は?」

「ご ち そ う さ ま、は?」

聞き分けのない子供を諭すように、笑顔を浮かべて、優しく、一語一語噛み砕いて話した。

にっこりと浮かべた笑顔と裏腹に、掴んだ手は肩を離さない。手錠で繋がれて強制的に隣に居させられた時は、自分の為にもなるべく諍いを起こさないように多くのことを我慢してきた。だが、一緒に住むとなれば話は違う。共同生活の最低限のルールは守って貰おう。

「竜崎?」

小首を傾けて、言葉を促した。

「・・・・・・・・・ごちそうさまでした」

竜崎は、本当にしぶしぶ呟いた。親指を噛み見上げて来た黒目が満足かと聞いてくるから、僕の手は思わず竜崎の頭を撫でていた。

「よしよし。良く出来ましたね~」

一瞬だけ目を大きく見開いた後、竜崎は僕の手の下で顔を背けた。

「・・・子供扱いですか、私」

すぐ傍にいなければ分からないだろうが、竜崎の頬がほのかに赤い。咄嗟に可愛いと思ってしまったのを慌てて止めた。
ここで笑ってしまうと、竜崎の機嫌がきっと急降下してしまうから。

だから、耐えようとしたのに。
こんな竜崎を誰が見たことがあるだろう?捜査本部の人間はきっと誰も知らない。捜査を離れると、こんな人間らしい竜崎もいると知っているのは僕だけかもしれない。そう思ってしまったから、耐えようとした自制を潜り抜け、顔に滲んでしまった喜色はどうしようもなかった。

ん?顔を下げて、竜崎の胸元を嗅ぐ。ごく近くにいるから頬の赤みにも気付いたが、もう一つ別のことにも気づいた。

「・・・今度はなんですか?」

竜崎のシャツを掴み、顔を近づけた。

「朝から大胆ですね、月くん」

いや、シャツの下には用はないから。ぐいーと更にシャツを掴み、竜崎の視界に入れる。

「竜崎、この服いつから着てる?」

「同じデザインの服をいくつか持っているんです」

「へぇ。じゃあ、昨日お前がこぼしたクリームを指ですくって舐めた後、シャツで拭いた跡もデザインか?」

「・・・そうだったかもしれません」

「脱げ」

「まだ朝ですよ。夜でしたら喜んで従いますが・・・」

「今すぐ脱いで、洗濯機に入れて来い。竜崎のことだから、着たままなのはシャツだけじゃないだろ。そのジーンズも下着も全部脱いで、新しい服に着替えろ」

有無を言わせない僕の口振りに、竜崎はもごもごと口の中で何か言いながらバスルームに向かった。月くんのお節介とか何とか聞こえてきたが、一応着替えに行ったから不問にしてやる。

大学に行く前に掃除をと思ったけど、まずは洗濯からになりそうだ。そう言えば、手錠で繋がれていた時も、汗かいてません、汚れてませんと、入浴も着替えも面倒くさがっていたっけ。

全く彼との生活は信じられないことの連続だった。あまりの生活習慣の違いに怒ったり、呆気に取られたりと忙しかった。そんな事を思い返していたら、扉の開く音がした。

「・・・!!」

そこに立っていたのは全裸の竜崎。裸を頓着せず、いつものように指をくわえて立っている。彼の全裸など初めて見るわけではないけれど、手錠で繋がれて仕方なくと言う状況ではないから妙に気恥ずかしい。慌てて視線を逸らして、彼を視界に入れないようにして叫んだ。

「着替えてから出て来い!」

「どこにあるか分かりません」

「お前の部屋にワタリさんが用意してくれてるはずだろ。ちゃんと見たのか?」

「はぁ・・・」

「あーもう!お前はここにいろ。僕が探してくるから」

手錠で繋がれていた時は、すぐ傍にお互いがいるから、不可抗力だがほぼ毎日互いの裸を見ていた。竜崎は見られることに何の感慨もないようだが僕は違う。着替えている時にさえ監視の視線を感じていた。何時までも慣る事が出来なかった。

竜崎を置いて足早に部屋に向かう。けれど、僕の少し後を歩く足音がする。

「・・・なんでついて来るんだ」

「着替えを頂いたらすぐ着替えられるじゃないですか?月くんに持ってきて頂く手間も省けますし」

振り向く事は出来ないが、竜崎が面白がっているのが分かった。きっと先の仕返しなんだろう。まったくどっちが幼稚なんだか!

何故なのか、この先の同居生活はこんな風に過ぎる。そんな予感を抱いた。きっと言い争いも殴り合いの喧嘩もするけれど、それさえも楽しいのだろう。

いつの間にか苦笑が、心からの笑みに変わっていた。