part 6 お隣さん(単身赴任)

バスルームの扉が閉まるのを聞き、部屋から抜け出した。エレベーターではなく非常階段に向かう。竜崎はすぐに僕が部屋にいない事に気づくだろう。けれど、僕が向かっている先を知ったなら、今の竜崎は静観する。それは確信だった。

その二人に気づいたのは少し前。
二人が一緒にいる所は見ていない。どんなルーチンなのか知らないが、僕が目撃する時は必ず一人だった。ステファンの運転する車のミラーで存在に気付き、ICPO時代の友人に元気でいる姿を送りたいからと写真を撮ってもらった。それをICPOの同僚に位置情報と一緒に送った。彼女なら気づいてくれる。目的が僕の近況を伝える事ではなく、数台の車を挟んだところにいるフルフェイスのバイクだと。ステファンが携帯を構える先で、車内のミラーで髪を整える振りをしながらバイクの特徴が見える位置に調節した。

僕がビルに戻った後、彼らは時間をずらしてLが建てたビルに入り、夜を越してまた僕の跡を追う。ICPOに新しく導入したシステムで調べた彼女からの連絡では、僕とL以外の熱源は三つ。一つ下のフロアに熱源が一つ。それは、おそらくワタリさん。そして、残りの二つは五つ下のフロアにあった。僕はそこに向かっている。今、中にいる熱源は一つ。もう一人はビルに戻る時間をずらすために、外で時間を潰しているのだろう。

目的の部屋に着いた。チャイムを鳴らす。もちろん出てこない。ドアの外で声を上げた。

「開けないと、一晩中チャイムを鳴らし続ける」

大きな声ではないが、監視カメラで十分に拾えるだろう。Lに相談するには十分な時間を経て、扉が開いた。出てきたのは、肩までの長さの金髪を持った若い男。手には、この状況には明らかに浮くチョコレートの包みを持っていた。おかしな事だが、そのチョコレートでLに近しい者だと僕は納得しかけた。

「何の用?」

「どんな奴が僕の監視に付いたのか気になった」

「見たんなら満足したろ?上に戻れよ」

答えた声にぴくり、と体が震えた。男が閉めようとするドアを手で押さえた。

「あんな下手な尾行で、竜崎は良く君に任せる気になったな」

「・・・馬鹿にしに来たのかよ、アンタ」

「アンタって、尾行してた位だ。僕の名前も知ってるだろう?」

「夜神 月。どっちが言い出したのか知らないが、アンタの両親はよっぽど夢見てる」

挑発だろうと、相手に喋らせ続けた。やっぱりそうだ。

「君の名前は?」

「メロ。それじゃあな」

再び閉じようとするドアを押さえて、体をねじ込んだ。

「・・・あの時の声は君だな、メロ?」

その下がどうであれ、凪いだ水面を今更乱そうとしている。どんなものであれ過去は必ず追いついてくる。そして、追いつかれてしまった時、必ずそれに対峙することを強いられるのだ。

「竜崎?」

「月くん・・・」

「お茶を持ってきたよ。休憩にしたら?」

竜崎は机に積まれていた資料をなぎ払った。ばさばさと床にファイルが散る。空いたスペースにトレイを置き、竜崎の前に紅茶とケーキを置いてやった。床に落ちたファイルを拾おうと屈んだ僕の腰に腕が回る。

「月くん、月くん」

背中に懐いてくる竜崎。囲った腕の中で身体を翻して、腰に抱きつく竜崎のへたれた髪に触れた。この数日、入浴も忘れて事件に没頭していた。

「竜崎。ケーキを食べたら風呂に入れ」

「まだ駄目です。連絡を待ってます」

「連絡はすぐに来るの?」

「いいえ。分析させてますので、3、40分はかかると思います」

「なら、入って来い。準備してきたから」

「用意がいいですね」

隈に縁取られた大きな黒い目がじっと覗き込む。

「一緒に・・・」

指を銜えた竜崎の顔が期待していた。

「独りで入って来い」

腰から竜崎を引き剥がし、バスルームに放り込んだ。またシャツで拭いたな。床から拾った服から甘い香りが漂い、眉を顰めた。竜崎が脱ぎ散らした服を洗濯機に放り込む。ポケットの中身は部屋に置いておけばいいか。

着替えの用意なんて気が回らないし、また全裸で出てきては風邪をひいてしまうから、と竜崎の着替えを取りに部屋に戻った。ドアを潜ったところで、竜崎の携帯が震えた。数コール分、震えて切れた。連絡待ちだと竜崎は言っていた。着信はその相手かもしれない。着替えを引っ張り出して、バスルームにいる竜崎に伝えようとしたところで、今度はコール音が机の上の端末から鳴った。

悩んだ後、僕は竜崎の端末のキーボードに指を置いた。彼がログインしているのを何度か見ているから、指の動きで打ったキーをなんとなく分かっていた。ログイン出来なければ、それでいいと思っていた。そして、マウスをクリック。

ログイン画面が切り替わり、いきなり通話が始まった。

『L、この間の話は?考えてくれたか?』

声の感じからして若い男。返事もないのに話し続ける。

『返事を先送りってアンタらしくねぇじゃん。もう夜神なんて放っておけば?』

突然、自分の名前が出てきて驚いた。これは竜崎が待っていた連絡じゃない。

『あんな奴、キラだった可能性があったかもしれないけど、今の夜神は絶対キラじゃないぜ。ちょっと頭の切れる、つまらない奴じゃん。アンタもそっちの興味は失せたんだろ。今は欲求不満の解消用か?最近の監視もポルノだし。賭けはアンタの勝ちだな』

くくっ、と通話の先にいる相手が喉の奥で笑った。その嘲笑はネットワーク、スピーカーを通しても、正確に僕に届いた。

『それにしても、アンタ、本当にえげつない嘘がうまいな。俺も一瞬信じかけたぜ。夜神なんて完全に騙されてる。何が経験がないだ。あぁー、夜神も可哀想。こんな酷い奴に処女奪われちゃってさ』

声が流れていく中を、ただ立ち尽くした。意識から離れたところで活動していた呼吸器が、危険を感じて自動的に息を飲み込む。肺から空気が全部抜けてしまっていた。

『散々笑わせて貰ったし面白かったけど、もう飽きた。この国も夜神ってやつも。アンタもたっぷり楽しんだろ?もういいじゃん。終わらせて帰ろうぜ』

視線が定まらない。ゆらゆらと眼球が揺れている。その後、続いていた言葉はもう耳に入らなかった。

全てが身体を抜けて出て行った。どうして立ち続けていられるのか不思議だった。そして、抜けて行った代わりに湧き起こってきたのは安堵。

安堵!竜崎に騙されていたのだと、ずっと嘘をつかれていたのだと憤る前に、僕は安堵していた。

容疑者だと疑われたまま共同生活を始めて、徐々に二人の距離が縮まった。食事も後片付けも洗濯も、普通の生活を一緒に過ごし、お互いの折り合いを見つけて言い争いもせずに暮らせるようになったら、また些細な事で喧嘩して、仲直りをした。そんな日々を積み重ねて、そして、・・・竜崎に好きだと言われた。

一緒に過ごす時間が増え、お互いの存在が心地よく馴染んだ末に、竜崎が僕に対して好意を抱いて関係を結んだと、僕はそう信じていた。信じ込もうとした。好意を抱いてくれ、僕もそれを返した相手の行動、言葉を疑いたくなかった。でも、何度も抑え込んでも消えなかった。それが竜崎に対して、不実だとさえ思っていた。

悲しい事に僕の疑いは正しくて、竜崎がしてきた事、言ってきた事は全部嘘だった。それがはっきりして、僕は安堵していた。疑いがあるままでは信じきれず、信じ切れないままだから疑いがあった。

頭がゆっくりと倒れた。唇からは力のない笑いが漏れてきた。笑える自分がおかしかった。何より自分が自分を笑っているのが滑稽だった。

*** *** *** *** ***

「君だろ?」

「あぁ・・・」

金髪を揺らして、気まずそうにメロが認めた。

中に通された部屋は汚かった。リビングの机には潰したビール缶が転がり、灰皿には吸殻が山になっていた。ソファーの周りにはコンビニの袋が溜まっている。座るにはゴミを片付けなければいけなかった。

「ビールでいいか?って、それしかないんだけど」

キッチンから缶を二つ持ってきたメロが、どっかりと隣に座る。プルトップを引き上げ、乾いた喉を潤すと話し始めた。

「あれは故意だった。仮にもLの周囲にいる者が、通話の先にいる人間を確かめないまま話し始めるわけがない。あれは僕に聞かせたかったんだろう?」

あの時は出て行く事しか考えられず、そこまで思い至らなかった。けれど、時間が経ち、あの時の事を冷静に見れるようになった頃、それに気づいた。テーブルに載せたメロの足先が揺れる。

「その通りだよ。俺はライトを出て行かせようとした」

「なぜ?」

「俺はさ、昔、母親って言う女に施設に預けられた時、逃げ出してんだ。日本で育ったライトには想像が付かないかも知れないけど、結構そう言うガキが多いんだ。で、そう言うガキが集まってどうなるかと言うと、集団で暮らすようになる。オリバー・ツイストだよ。俺は盗みも騙しもしたけど、仲間だけは裏切らなかった。お互い助け合わなくては生きていけないんだから当然だろ?」

「それで?」

「どんなに上手くやってても子供の浅知恵だから、結局捕まって別の施設に預けられた。そこで俺はLに逢った。やがてLの手伝いに呼ばれる様になって、前のキラの時もライト達を監視してた」

Lが捜査本部に顔を見せた弊害だろう。ワタリの存在も知られ、捜査本部全体を監視する人間が別に必要になった。

「二人の同居が決まった時、どう言うつもりなのかLに尋ねた。俺があの時、ライトに言った言葉は全部が嘘じゃない。火口が捕まりキラ事件が解決したのに、俺にはLがライトに拘っているとしか思えなかった。ライトがLの嘘に絆されて、嘘の言葉なのに笑ってる。俺はずっとそれを監視カメラで見てた。ライトがLを信じようとするのに、Lは何も信じない。偽りの関係を続けて、ライトを裏切り続けてるのが見てられなかった」

ビールを口に含んだ。予想以上に口に苦味を残す。その後、メロが何をしたか知ってる。僕を哀れんで、メロは賭けた。

「ライトが独りになった時、端末に飛びついた。ライトが携帯に出るか、端末のパスワードを知ってるか、それは分からなかった。でも俺はライトに知らせてやりたかった」

結果、僕は竜崎の端末のパスワードを知っていて、メロの真実を含んだ嘘の言葉に自分の愚かさを知り、あの部屋を出て行った。面倒見のいいドジャーのお陰で。

「・・・あの後、竜崎はどうした?」

入浴している間に、終わってしまった同居。竜崎はあの後どうしたのか気になっていた。きっと、自分が終わらせずに済んで、面倒が減ったと思っただろうけど。

「ライトが部屋にいないのに気づくと、着替えもせずにライトの名前を呼びながら部屋という部屋を探してた。Lの部屋の床に落ちてた着替えとログインされた端末に何か起きた事を悟って、Lの部屋の監視映像を呼び出して見てた。それから、着替えてキッチンに行って、ライトの用意した食事を食べて、ライトが帰ってくるのを待ってた。リビングのソファーに座り込んで、ずっと動かなかった。噛み続けた指はぼろぼろだった。二日経ってもそのままで、ワタリが無理やりLに食事を取らせた。眠らせるのにも薬が必要だった。そんな風にして待ち続けて、ライトが出て行って二週間目の日に、Lはライトがもう帰って来ない事を受け入れた。その日のうちにビルから出て行ったよ」

「・・・・・・」

「俺はLから何も言われなかった。ただ、ありがとうございますってだけ。皮肉じゃないぜ、本気で言ってた。だから、俺がした事は正しかったのか分からなくなった。始まりは違ったかもしれないけど、Lは本当にライトが好きだったのかもって」

飲み干した缶をテーブルに置き、立ち上がった。メロが語った事は、もう今更だった。それを聞いたところで何も現実は変わらない。

「ビール、ご馳走様」

メロの言葉が追って来る。

「ライト、ごめん。ずっと謝りたかった」

「・・・メロが謝る事は何もない。メロのことがなくても、きっと駄目になってた」

ドアまで見送ってきたメロに別れを告げ、階段に向かった。