part 8 不倫?

「夜神刑事、1番に魅上検事からです」

「ありがとう」

電話を繋いでくれた山本刑事に礼を言い、受話器を取り上げた。本部の刑事達は検事と言う言葉にざわめき、眉を潜めた。なぜ検事からの電話が本部長の相沢さんにではなく、僕になのかと。事件以外の事に気を取られすぎる刑事たちに目を転がしたくなるのを抑えた。

「夜神です」

外からなのか、ざわざわと街の雑音が入る。その中に微かに長引く聞き慣れたチャイムの音。駅か?

背後の音を縫うように低い声が受話器から流れ出した。

「ご無沙汰をしまして。魅上です」

「こちらこそ連絡も取らず失礼しました。それで、今日は?」

「先日の約束を果たそうと思いまして。今、東京駅です。半時間もすれば霞ヶ関に到着します。ご都合はいかがですか?」

「分かりました」

待ち合わせの場所を決めて電話を切った。すぐに席から立ち上がり、相沢さんの元に行った。まわりの刑事たちは、作業を止め、僕の動きに集中していた。

近寄った僕に報告書を読んでいた相沢さんが気付く。周りに聞こえないよう、警察に属するもの独特の発声で話を始めた。

「魅上検事から連絡がありました。これから接触します」

「Lには・・・」

「通話を監視しているでしょうから、もう知っているはずです」

「分かった。だが、一人では行かせられない。松田をついて行かせるから・・・っといないな。おい、松田はどこに行った?」

相沢さんが声を張り上げて、刑事達に尋ねた。すると、僕達に一番近い机にいた最年少の刑事が、松田さんの行方を答えた。

「コーヒーを買いに出て行きました」

「まったく、あいつは・・・。タイミングの悪さはいつまでも変わらない」

呆れたように呻く相沢さん。この場合は松田さんにもどうにも出来ないタイミングだったけれど、それが松田さんと言うだけで納得しそうになる。

「あの、もしかして夜神刑事と聞き込みとかですか?それなら、僕が代わりに行きます!」

そう言って、山本刑事は自分の顔を指差した。腹に何かを抱える刑事が多い中で、山本さんは松田さん以外に雑談を交わせる刑事だった。普段は松田さんより言う事がしっかりしていて頼もしいが、こう言う仕草に年相応の若さが現れる。普段なら彼と共に捜査をする事に異論はないが、今回ばかりは事情が違っていた。

「いえ、大丈夫です」

「だが・・・」

「一人では行きませんので」

僕が捜査本部以外の人間とも事件に関わっていると知っている相沢さんは、それ以上の追求をせず退出を許可した。

本部から出て向かったのはエレベーターではなくトイレ。都合の良いことに、中には誰もいない。念のため、個室を一つ一つ確認する。誰もいないのを確認してから、鏡の前でポケットから小さな箱を取り出した。

中には、今朝、竜崎に渡された超小型の通信装置。通信チャンネルは常にオープンにしておくと言っていた。

同居が始まった当初、異常な数の盗聴器とカメラが僕の部屋に仕掛けられていた。探知機で全て探し出し、竜崎に突きつけた。毎日、帰宅後に新たに設置されていないか調べると付け加えて。

けれど、僕が取り外した日以降、部屋に盗聴器とカメラが仕掛けられた様子はなかった。竜崎の部屋を除いたフロア全体も調べたが、メーターが振り切り、存在が確認されたのは玄関にだけ。帰国後、しばらくは毎日盗聴器とカメラの存在を調べていたが、今は調べていない。もう、その必要がないと判断したのだ。

今回も監視のためなら、竜崎は黙って僕に盗聴器を付ける事も出来た。以前の彼なら間違いなく、そうしていただろう。

けれど、竜崎はそうしなかった。ただ、僕と竜崎、双方向に通じる通信装置を渡しただけ。それを付けるか付けないかは、僕の選択を尊重した。

箱から小さなチップのようなものを取り出し、耳に貼り付けた。痛みも何もなく、自分でつけなければ、存在にすら気付かなかっただろう。

「・・・竜崎?」

小声で囁いた。

「聞こえています。感度は問題ないようですね」

予想していたよりもクリアに竜崎の声が聞こえた。まるで耳元に唇を寄せられ、声を注ぎ込まれる様だった。腰にざわざわと感覚が溜まる。付けたばかりの装置を外したくなっていた。

「これから魅上さんと接触する」

「はい」

「場所は裁判所だ」

「現在、取り扱われている事件を調べさせています。分かり次第、お知らせします。が、月君、一人で行動しないで下さいと言ったはずです」

「一人じゃないだろ?今日は誰?メロ?」

車を尾行するバイクに跨った人物は、黒のフルフェイスのヘルメットを被っていて中が誰なのか分からなかった。おそらくメロかマットのどちらかだと思うが、これから行く所ではその二人だと都合が悪い。

「・・・・・・・・・マットでしたが、ステファンを待機させました」

「ならいい」

黒髪のステファンなら日本の裁判所内を歩き回っても、さほど違和感はない。尾行を変えてもらう手間が省けた。

「分かっていると思いますが、魅上と二人きりになるのはなるべく避けてください」

「僕を誰だと思っているんだ。被疑者と会う時の心得くらい分かっている」

鏡に写った自分に向かって話しているが、僕の視線の先は僕自身ではなく通話の先の竜崎だった。機材に囲まれた部屋のソファーに座って、苛々と爪を噛んでいる。

「貴方が被疑者と会い、その場で逮捕に結びついた事件も知っています。だとしても、貴方に危害が及ぶ可能性のある事には変わりが無い」

「僕は刑事だ。いつだって危険はある」

「・・・分かっています」

袖口のクロノグラフをちらりと見た。待ち合わせ場所に向かうのに十分な時間を見ていたが、それでもいつまでも時間があるわけじゃない。

「・・・約束する事は出来ない。だけど、無茶はしない様に心がける」

「ありがとうございます。それで充分です」

トイレから出てエレベーターに向かう。それ以上、余計な事は話さなかった。どうすべきか相談するまでもない。ロビー階にエレベーターが到着する。両側に開いた扉を抜け、外へと歩き出した。

警察庁と裁判所は通りを挟んだ向かい。信号が変わるのを待った。

「月君・・・」

「なに?」

すぐ傍にいないが、信号待ちの人間は幾人かいた。独り言を話す怪しい人間に思われる危険は避けたいので、声を潜めて返事をした。

「そんな状況は食い止めるつもりでいますが、最悪のケースを考えて話しておこうと思います」

続けて聞こえてきたのは、静かに一語一音を宣言するような確かな声。

「私は再び貴方を失うつもりはありません」

雑踏の中、他の音は押しやられ、竜崎の声だけが際立って聞こえた。

「・・・りゅ・・・」

信号が変わった。信号待ちをしていた人々が不思議そうに止まったままの僕を眺めて、次々に傍を過ぎていく。止まっていた呼吸を再開し、信号を歩き出した。装置からは沈黙のようでいて、ごく微かに竜崎の呼吸が聞こえていた。

「夜神さん」

信号を渡った先、裁判所入り口に黒のロングコート、僕より長めの黒髪で長身の男。眼鏡を掛けた姿が資料とは異なっていたが、そこに立っていたのは、京都地方検事局の魅上検事だった。

「魅上検事、ですね」

竜崎の最後の言葉が気がかりだったが、ひとまず意識から弾いた。

*** *** ***

彼に連れてこられたのは、法廷の1室。部屋の前面では、苛々と足を組み替えては揺らす、シンプルな服装の若い男。そして、疲れて俯いた老夫婦がいた。事件の犯人と、その犯人に子供を無理やり奪われた親。表情と裁判の成り行きを見守る態度だけを見たら、どちらが裁かれる立場なのか分からなかった。

「裁判を傍聴された事は?」

理由があるようで無い、相手は誰でも良かったと言う事件はもう珍しくないのか、傍聴席は半分も埋まっていなかった。僕達は関係者の座る前列から離れて裁判を傍聴していた。

声を潜めて話す魅上さんの言葉を聞き漏らさないように、僕は体を少し彼の方に傾けていた。

「研修で一度。刑事になってからは、検察側の証人として数回あります」

返事をする僕の声も潜めたものだった。横に座る魅上さんを伺う。検事と言う仕事柄、きっちりしたスーツだが、それでも趣味の良い着こなしだった。彼の知的な雰囲気と長身が際立っていた。もしこんな状況でなかったら、彼とはプライベートでも楽しめたかもしれない。

「今日の判決、どうなるか分かりますか?」

「専門家ではありませんので・・・」

「では、夜神さんはあの犯人はどうなるべきだとお考えですか?貴方個人の意見なら言えるはず」

魅上さんの視線が僕に流れたのが分かった。反応を観察されている。

「被告の弁護人は精神鑑定を望むでしょう。ですが、犯行を見る限り、彼には責任能力がないと言い難い」

犯行時の状態を覚えていないと言うが、怯える女性を縛り上げ、携帯電話を取り上げてから暴行、殺害に及んだ。そして、犯行後には発覚を遅らせる工作をした上、指紋を綺麗にふき取り、凶器の隠滅まで行った。被告は逮捕されるまで、同様の犯行を4回繰り返していた。

「精神鑑定請求は不当だと?」

「彼は4人の人間を殺した罪に相当する裁きを受けるべきだ。彼は被害者たちの未来を奪っただけでなく、その家族が見るはずだった未来も奪った。残された家族たちも、今まで通りとはいかないでしょう」

裁判では残された家族が、被害者の夢を語っていた。もう決して適う事の無い夢。彼女は看護士になりたかった。そのための学校に通い、来年の春には卒業して、その夢の一歩を踏み出すはずだった。

事件を聞かされて、一気に十歳は老いてしまった両親は、彼女のウェディング姿を見ることも出来なければ、孫をその腕に抱くことも出来ない。先に逝くはずの自分達が子供を弔い、もう彼女の思い出が増えることはない。

失ったものの重みで体が小さく見えていた母親は、それでも精一杯背筋を伸ばし、被告を見据えた。「誰でもいい」、そう言った男が簡単に奪った命の意味を訴えていた。

ざわりと法廷が騒ぐ。訴え終えた家族が崩れ落ちたのだ。事件発生から磨り減り続けた彼女の精神力と体力は底を尽き掛けていた。それでも、掻き集めて訴えた声は、聞いていた被告の足を、ただ組み替えさせただけだった。

「あの男に反省の色はない。そんな奴に更生など見込めない。彼を極刑に裁くことが正義です」

わざと極論を展開した。だが、多少なりとも同じような意見を僕は抱いていた。

「・・・やはり貴方は私が見込んだ通りの方だ」

部屋が一層ざわつき始めた。被告が係員に腕を持たれ連れ出されていた。被害者家族はお互いを支えあうようにして出て行った。残った傍聴者たちも徐々に部屋から消えていく。

「終わりましたか」

脱いだコートと鞄を手に持ち、魅上さんが立ち上がる。僕もそれにならった。

「約束した食事ですが、店を予約しました。ここから遠くありません。行きましょうか?」

腰に触れた手に促されて、僕達も扉に向かって歩き出した。

ふと、頭の後に視線を感じて振り返った。そこに魅上さんがいるのは当然なのだが、それでも感じる違和感。

「何か?」

振り返ったまま顔を見詰める僕に魅上さんが尋ねた。

「いえ・・・。日本では僕でも長身に入るので、見下ろされる感覚を忘れてました。魅上さんも背が高いですね。何かスポーツでも?」

「大したことはしていません。ジムに通っているだけです。健全な肉体に健全な精神が宿る、ですよ」

それでいったら、あいつは不健全な精神しか持ち得ない。今も通信装置で聞いている、不健全の塊である竜崎の反応が想像できた。

「どうしました?何か可笑しな事を言いましたか?」

「いえ、まさに魅上さんの仰る通りだと思います」

*** *** ***

連れてこられたのは料亭の一室だった。一介の検事と刑事が食事をするには分が過ぎていた。魅上さんにその事を言えば、僕に相応しい店を選んだと返されてしまった。

「僕の将来を買ってくださるのは有難いと思っています。ですが、僕はまだ単なる一刑事にしか過ぎません。ここまでして頂く理由はありません」

勤務中なので二人の前に置かれたお茶を啜った後、魅上さんが話し始めた。

「・・・先日の電話で私が東京に転属になったと話しましたが、覚えていらっしゃいますか?」

「えぇ・・・」

「検事になり初めての赴任先は東京でした。ですから、今回の転属は戻ると言う事になります」

それは資料で見た職歴にもあった。職歴の一番上に、東京の検事局の名前があり、その下には3年後の日付で京都のものだった。魅上さんほど優秀な検事が、なぜ京都なのか不思議だった。

「京都への転属は、私が行った主張が原因でした」

「主張?」

「先ほど、夜神さんも言われましたが、更生の出来ないどうしようもない人間は、この社会から削除すべきだと主張したのですよ。実際、幾つかの討論番組にも出演し、当時の風潮の中でそれなりの支持を得ました。ですが、その主張の旗手となるべき人間を私は間違えた。その人間が低俗だと知れると、支持も一気に反対へと傾き、私自身も地方へと飛ばされる事になりました」

法廷で掛けていた眼鏡を外した魅上さんの眼差しが、僕に固定されたまま揺らがない。それどころか、一見冷静な黒なのに、話が進むにつれ奥に隠れた熱がマグマの様にうねり出していた。

「ご存知の様に日本の法律は性善説を礎にしています。ですが、望むべく良心を持ち合わせず、存在価値の無い、それどころか、存在自体が悪となる者がいる。そんな人間は社会からの削除が当然です。罪から何人たりとも逃れることは出来ない。罪に相応しい罰でもって裁かれる。これはごく簡単な事ですが、それを理解せず、自分だけは逃れられると思っている馬鹿が何と多い事か・・・。罪には、容赦なく、迅速かつ正当に裁かれる。それが、社会が持つべき規律なのです」

魅上さんのボルテージは上昇し、語り続ける姿はまるで狂信者だった。

「無意味な価値観が多様化しすぎた今こそ、私達には強い姿勢で犯罪者に挑む、新しい司法が必要です。夜神さん、それは貴方となら実現可能なのです」

机の上に出していた僕の手に、魅上さんの手が重ねられた。

「詳しく聞かせて頂けますか?」

魅上さんの手の下からそっと手を引き抜いた。彼に怒りの様子は無い。

「喜んで。私達の司法でもって裁かれるべき人間を、失礼ながら私が選択しました。こちらが捜査資料です。どうぞ」

魅上さんの傍に置かれた鞄からファイルを取り出して、僕の前に置いた。置かれた資料に手を伸ばす。

「触らないで下さい、月君」

通信装置から竜崎の声。資料に触れる前に指が止まった。

鋭い音を立てて開かれた襖から、捜査本部の刑事がなだれ込む。直ぐ様、魅上さんが拘束され、腕を背後に捩られていた。そして、スーツばかりの中で異様さが際立つジーンズにシャツ姿の男。耳に掛けていたインカムを投げ捨て、机の上のファイルを掴んだ。

「竜崎・・・」

ファイルから取り出した資料をばらばらと捲る。いくら竜崎が速読に優れていたとしても、内容を読めてはいない。

「竜崎?いや、違う・・・。お前が・・・!」

「黙れ、魅上!」

「・・・っ!」

後で拘束された腕を刑事に掴まれ、魅上さんは無理やり立たされていた。掴まれた腕が痛むのか、顔が苦痛で歪んだ。

資料を捲っていた音が止まった。竜崎の両手に資料が開かれていた。

「確認しました。魅上が今回のキラです」

竜崎は部屋の天井近くを睨んでいた。