part 10 お帰りなさい

「月、くん・・・、誤解します、よ?」

僕が抱きついた竜崎の身体は一瞬の強張りの後、僕の背中に腕を回した。

「誤解するほど、お互い馬鹿じゃない・・・」

顔を埋めた竜崎の首筋に向かって話した。ごくりと音を立てて上下した喉仏。背を抱く手が僕の反応を怖がるように、おずおずと囲いを狭めた。

主食かと思うほど竜崎は甘いものを食べる。だから、すぐ傍の肌から甘いお菓子の香りがブレンドされた竜崎の香りが鼻に届く。どこに居ても誰と居ても、隣から香る匂いに違和感があった。何かが足りないと思った。その理由を今なら認められる。

僕の幸せの為にと、竜崎は言った。幼稚で自分勝手、他人の事なんて気にせず、捜査以外で我慢なんて出来ない。竜崎はそんな男だった。そんな彼が僕のためと身を引いた。僕が幸せなら自分は見ているだけで耐えられる、と。

だけど、竜崎自身の幸せは?

僕と別れてからお前は幸せだったか?僕の傍にジャンやアイバー、その他の誰かが居たように、お前の傍に誰かが居てくれたか?その人に安らぎを感じた事はあったか?

顎を取られた。すぐ傍に竜崎の顔があった。

「では・・・、期待します」

潜めた竜崎の言葉が唇に触れそうで触れない。薄い竜崎の唇。話す毎にその吐息は僕に触れた。

「すればいい・・・」

だから、僕は二人の間の距離をなくした。

キスはすぐに触れるだけでは物足らなくなり、お互いの舌に絡ませ合うものに変わった。僕の手が竜崎の髪に潜ったと同時に、竜崎の手が僕の両頬を包んだ。

迎え入れた竜崎の舌は、相変わらず甘い。僕に深く侵入する舌に絡ませて、竜崎らしい味を奪った。

竜崎と僕は身長がほぼ一緒。だから、体のパーツが同じ位置に来る。隙間無く触れ合った体から、芯を持ち始めた熱を感じた。それを感じたのは僕だけでなく竜崎ものようで、まだ離れられないキスを続けながら腰を擦れ合った。

絶頂に繋がる強烈な快感ではないけれど、ゆっくりと確実に快感の火を熾す。

「あ・・・ふっ・・・」

掠れた声が小さく漏れた。暖かく湿った舌先が唇をゆっくりと辿り、下を暴くのと同じくらいの慎重さで唇を抜ける。上顎を擽られて、体がぴくりと震える。腰に触れていた手が、僕の身体を押し、竜崎の身体に押し付ける。硬く育った竜崎と僕のものが並び、ゆっくりと長さいっぱいを撫でられた。

「ラ、イト・・・」

酸素を補充する隙も許せず、離れてしまった竜崎を追った。竜崎の低い声がいつもよりが掠れている。熱い呼吸を漏らす、薄く開いた唇に今度は僕が舌を忍ばせた。主導権を争うキスは長く続く。

ジャケットはいつの間にか落とされ、首周りのネクタイは音を立てて引き抜かれた。ズボンから抜かれたシャツの裾から手が入り込む。蜘蛛の様な手が執拗に僕を探った。

「あ、あ・・・!」

シャツの中で這い回る指が、存在を主張し始めた胸の突起を押しつぶす。鋭い快感が嬌声が漏れ、顎が上がった。繰返し身体を駆け抜ける快感で、ひくひくと震える首筋。その首筋にも竜崎の舌が這い回る。僕は頭を傾け、彼の前に首筋を晒した。キスを散らし易くなった肌に、竜崎の跡が残される。

竜崎のシャツに手を掛けた。彼の身体に沿って布を持ち上げ、シャツを頭から引き抜く。髪を乱して現れた顔に、すぐに唇が近づく。掌は露になった肌を辿った。滑らかでひんやりとしている。けど、その下には僕を持ち上げられる位の筋肉が隠されていた。

僕のシャツも床に放り出され、触れ合う上半身は遮るものがない。僕の手が這う竜崎の身体は細いが、鞭のように引き締まっていた。肩口に顔を埋めた。髪の生え際を撫でる指。髪を梳かれ露になった耳にも竜崎の唇が触れた。舌が蠢く度にぴちゃと湿音が立ち、僕の下肢に熱を貯めた。

視界にはゆるゆると蠢き合う竜崎と僕の下肢。僕のものはズボンの中で窮屈を訴えていた。竜崎の前も大きく張り出している。ジーンズに指を伸ばした。

「月くん」

けれど、その手は止められた。僕を呼んだ竜崎は、前を寛げようとした手を包み、親指が僕の指先を撫でた。

「りゅ、ざき?」

「このまま勢いに任せてしまいたいですが・・・。月くん、貴方の部屋に入れてくれませんか?」

「部、屋・・・?」

お互い痛いほど勃ち上がっているのに・・・。竜崎の言葉を僕はぼんやりと繰り返した。

「えぇ・・・。貴方をきちんと愛したいです。この間の様なキッチンなどではなく・・・」

この間のキッチンでのセックスは、ただの性欲からだった。行為への欲求が高ぶった時、そこに竜崎がいた。ただそれだけ。

だからこそ、竜崎は部屋に行くことを望んだ。このまま高ぶった情熱に流されるつもりがないのは、じっと僕を見つめてくる黒い目から明らかだった。

絡んだ身体を離して、ソファーから降りた。

「・・・行こう」

竜崎に手を差し出した。僕の表情を確かめた後、竜崎は頷き、手を取った。

*** *** ***

竜崎を僕の部屋に招きいれた。部屋の奥にあるベッドに向かう。何度も繰り返し慣れたはずの行為なのに、心臓の鼓動が煩い。竜崎にも聞こえてしまいそうだった。

繋いだ手を解かれた。

「りゅ・・・」

「冷えてしまいましたね」

離された手に戸惑う間もなく、後から腕が回された。肩には顎が置かれ、僕の表情を覗かれている。腰を抱いていた手がするりと這い上がり、腹筋を辿り胸へ。

「ふ・・・」

立ち上がった乳首を押しつぶされ、鋭い快感で思わず体が退くと後の竜崎にぶつかる。

「すぐに暖めますから」

耳に笑みを含んだ声が注がれ、尻に竜崎の熱くなったものを押し付けられた。

僕の前にある両手が、ベルトを外し前を寛げる。腰に引っかかったズボンが落とされ、足元に溜まる。指は既に僕に絡んでいた。ゆるゆると上下に動く手。ちゅく・・・と竜崎が肩に口付ける。繰り返されたキス、そして時折、痛みと共に触れる唇。

「僕も・・・」

僕を囲う腕の中で身体を反転させ、竜崎と向き合う。二人の体の隙間に手を降ろし、緩いジーンズに手を伸ばした。飛び出してきた竜崎のものに手を絡ませる。竜崎にされた様に、僕も彼の肩に口付けながら指を絡めた。二人分の荒い呼吸が部屋に響く。お互いの悦い所を指が正確に掠めて、記憶力の良さを誇った。

ぢゅっぢゅっと音を立て始め、滑らかに動く僕の手に竜崎の手が触れた。二人のものを纏めた竜崎が僕の手ごと包み、動かし始める。赤黒く腫れた先端が並び、共に滴が溢れていた。竜崎のものが凄く熱い。きっと竜崎も同じ事を思っている。

ちらりと竜崎を伺うと、僕の視線に気付いた竜崎がふっと表情を崩した。その表情を目の当たりにして、ずきと心臓に痛みが走る。かつてよく見た竜崎の表情。硬質の瞳がこの時ばかりは柔らかい光を宿す。

同時に近寄った唇は、二人の真ん中で重なり、伸ばした舌は下肢と同じように擦れ合った。

シーツに倒された体。天井を見たのは一瞬で、すぐに竜崎が覆いかぶさってきた。額、鼻の先、唇、顎、胸、と僕の体の中央に触れながら、竜崎の体が降りて行く。そして、熱を溜め込んだ僕のものに辿り着き、熱く湿った口内に含まれた。

竜崎の身体を挟む脚がシーツを突っ張る。深く銜えられ、篭った湿音が僕の耳に届いた。上半身を起こし、下肢に埋まる竜崎の髪をかき上げた。僕を含んだまま、竜崎が顔を上げ視線が合った。竜崎は僕を見詰めたまま、唇から高ぶったものを抜き、根元から先端へ唇が、舌が這い上がる。淫猥な光景に視線が反らせない。思わず浮いた腰が、竜崎に僕を押し付けていた。

「ん、んっ、うぅ・・・」

黒髪を掴んだ指が震える。僕はひっきりなしに掠れた声を漏らしていた。今にも下肢に溜まった快感が爆発しそうだった。

舌先が先端を弾く。僕は溜まらず竜崎の頭を掴んだ。驚く竜崎の頭を引き寄せ、口付ける。勢いが強くて唇に歯が当たったが、それさえも今の僕達を煽る。竜崎の舌から僕の味が伝わった。

竜崎の手が背後に回り、後孔に触れる。

「何か・・・潤すものは・・・」

指先が微かに潜って、入り口を擽った。

「あ、っぁ・・・、ハンドクリームが引き出しに・・・」

「ハンドクリーム、ですか・・・」

「誰とも・・・、そんな状況にならないから、用意する必要がなかった・・・」

引き出しからハンドクリームのチューブを取り出して、竜崎に突き出した。じっと見つめてくる隈に縁取られた黒目に居心地が悪い。

「竜崎・・・」

話すべきか悩んでいた事を口にしていた。

「はい」

「お前にはきっと何の意味もないと思うけど・・・・・・、アイバーさんが来た時、その・・・何もなかった、から・・・」

アイバーさんが来た時、確かに僕とこの部屋で一晩を過ごした。だけど、僕達はただベッドに一緒に入り、眠っただけ。この部屋でアイバーさんと何かする気にはなれなかった。

「言ってくださって、ありがとうございます」

微かに喜色を顔に滲ませた竜崎から、肩に顔を埋めることで逃れた。ますます居心地が悪くて、早くさっきまでの快感に没頭出来ればいいと思った。

ハンドクリームで解された後孔に、竜崎の先端が触れた。

「脚を・・・」

「ん」

横に臥し、向かい合った体勢で絡み合っていた。重なるのに邪魔な脚を持たれ、竜崎の腰に掛けられる。開かされた脚の間には竜崎の腰が収まり、ずっ、ずっ、とゆっくりと時間を掛けて竜崎の存在に馴染まさられた。体内に感じる、自分とは別の熱さと鼓動。

竜崎の腰に掛けた脚で彼の身体を引き寄せる。僕と竜崎がより深く繋がる。

「はっ、あ、あ、あ、・・・」

ゆるゆると動き出す律動。身体を燃やす熱で思考まで奪われる。

「月くん」

竜崎に触れられ、ぐずぐずと腰から溶けてしまったこの身体は、自分のものなのにひどく覚束ない。たどたどしく伸ばした手が竜崎に触れる。いつもひんやりしている肌が熱い。この熱は覚えてる。またこの身体に触れられた。

「りゅ、ざき・・・」

自分のものとは思いたくない、弱々しい声が出た。竜崎の手が伸びてきて、張り付いた髪を払い、額に口付けられた。

*** *** ***

額から唇を離すと、月の顔がシーツに伏せられた。

「どうしました?」

呼びかけても返事はない。腕に抱いた身体を宥めるように撫でた。

「私は・・・何か貴方の気分を害する事をしましたか?」

「何も・・・」

「月くん」

「本当に何でもないんだ」

「何もなくて、貴方がこんな顔をするんですか・・・?」

顎に指を掛け上げさせた顔は、迷い子の様に頼りない。

「月くん・・・」

ゆっくり背を撫で続け、彼を煩わせているものを吐き出す様に促した。

「・・・・・・ただの、下らない感傷だから・・・。ごめん、雰囲気を壊した」

「言わないと、言わせますよ?」

ぐっと月の弱い所を抉った。喘ぎを漏らした唇は、そのまま笑みに変わる。くすくすと軽やかに笑う衝動が繋がった下肢にも伝わり、微かな甘い痺れが月だけでなく私にも広がった。

「竜崎らしい」

そうして、ははっと短く笑った月が私の顔に手を添えた。髪を後に撫で付けられ、笑みの消えた顔がじっと私の顔を覗き込んだ。指先が頬を擽る。私を見つめる月の瞳は以前の様であり、それだけでもない。

「月く・・・」

「僕は帰ってきたんだな」

静かに囁かれた月の言葉に、私は目の前の愛しい体を掻き抱いた。

あの時、この部屋を出て行ったのは月だった。だが、そうさせたのは私だった。同居の当初の目的が形骸と成り果て、彼が整えてくれた生活を貪り、偽りを吐き続けた私は、彼の想いを最悪の形で裏切った。彼を想う言葉は私にとって真実だとしても、それは彼をひどく傷つけた。誰に対しても、何に対してもしてこなかった後悔が蘇る。

「もう何処にも行かせませんから・・・」

もう二度と・・・と、続けた私の誓いは厳粛なものだった。

「あ、はっ・・・!ふぁ!」

月の告白の後、再開した繋がりは弱まった熱を簡単に高めた。キッチンでの情事は満足に月の身体を確かめられなかった。だから、たっぷりと時間を掛けて彼の身体を確かめた。だが、それは私だけではなく月もだった。下肢は茂みを濡らすほど滴を溢れさせているにも関わらず、絶頂よりも互いの存在を確かめる事を優先した。

腹を辿り、胸に彷徨っていた手が月に奪われ、今、掌は月の舌から愛撫を受けていた。

「ふ・・・」

吐息に紛れて熱を吐き出すと、月の顔が綻び、指を銜えられた。繋がった下肢のリズムに合わせて、月の頭が上下する。含まれた指を抜くと、指先で濡れた唇を擽った。

ぱくりと再び彼の唇に含まれたかと思うと、指先をちゅっと可愛らしい音を立てて吸われた。思わず彼の体内にいる私が反応した。

「ん、ん・・・」

鼻から抜けたような喘ぎが月から漏れる。

腰を両手で抱えて、シーツから起き上がる。月の腕が私の首に回った。月の体を抱え起こし座位になり、そして、倒された。座位になったところで、月が体重を掛けて私をシーツに倒したのだ。見下ろしてくる顔は悪戯が成功した子供のよう。だが、子供と言うには、頬を染めた顔には艶が濃すぎる。

私の体の両脇に膝をつき体勢を整えると、唇と手が降って来た。滑った舌が首筋から胸へと辿り、指がその後を追う。腰は淫らに揺らめく。すぐに持っていかれそうになる動きに、唇を噛み締めて耐えた。

一方的にやられるには、私は負けず嫌いが過ぎる。月の腰を掴んで固定し、下から突き上げた。

「あっ、あああああ!りゅ・・・あ、やっ・・・」

ずんずんと容赦のない突き入れで月の体から力が抜ける。倒れてきた月の頭が、私の胸で茶色の髪を打ち振るう。激しく奥を目指す私のものが、月の最も弱い箇所を繰り返し押しつぶし、擦り上げた。

「はっ・・・、んぁ・・・」

「月くん、前に触れて・・・」

胸に置かれまま、快感で震えていた手が、無意識に私の腹に揺らめいていた月自身を包んだ。ぎちぎちと私の動きを妨げるほど締め付けていた内部が、より狭まる。

浅い突き入れに変え、月自身の快感に直結する箇所を抉る。目を瞑り、眉根を切なげに寄せた月の顔。唇はもう閉じられず、嬌声が繰り返し上げられていた。

「ふぁ・・・、あ、ああっ!」

腰を掴んでいた手を外し、熱を限界まで抱えて腫れた月自身を擦る。びくっと私の上で身体が跳ねると、月は私の手と腹に白濁を零した。

支える力を失い、ぐったりと倒れてきた月の身体を抱き締める。下肢は月の嬌態で解放を訴えていた。

月の身体を抱えて、上下を入れ替えた。荒い呼吸を整えようと月の喉が鳴る。だが、彼の呼吸が収まるまで待ってやれなかった。月の腰を抱き直し、了承を得るため顔を覗き込んだ。

彼が頷いたのを合図に突き入れた。スプリングが軋み、ヘッドボードが壁を叩く音が私をいっそう煽る。解放を求めて、自制が上擦る。乱暴に動き回る私の背に月の腕が回った。軽く爪を立てられ、耳元には月の熱の篭った声。

「竜崎・・・、竜崎・・・」

強く月をかき抱き、誰も辿り着けない彼の奥深くで私を解放した。

しばらく二人分の荒い呼吸だけが部屋の音だった。

「竜崎、重い・・・」

肩を叩く月に身体を起こした。抱えたままだった脚もシーツに降ろしてやる。

「すみません。今、抜きます、から・・・」

「あ、・・・ぅ、んっ・・・!」

ゆっくりと引き抜く私に、月の掠れた声が思わずといった風に漏れた。その声にぞく、と腰が震える。私は引きかけた腰を一息に突き入れた。

「あぁ!・・・や、竜崎・・・な、何して・・・あ、あ・・・」

「今のは、月くんが悪いんです・・・」

*** *** ***

立て続けに行われた情交に、月はシーツに横たわったまま動けなくなった。

「喉、渇いた・・・」

掠れた声はまだ熱を引き摺っていた。

「あれだけ喘ぎましたからね」

にやりと笑うと、力のない手が持ち上がり、弱々しく私を叩いた。

「うるさい。喉、乾いたって言ってるだろ」

「持ってきます」

まだ汗が引かない肩に口付け、ベッドから降りた。途中で床に転がったジーンズを拾って身に付ける。これ以上の欲の暴走を押し止める為だった。

これでは、まるでセックスを覚えたばかりの餓鬼だ。先ほどまで腕の中にいた肢体を思い出せば直ぐに反応する素直すぎる体を、自嘲気味に笑った。これまで触れられなかった期間があったと言う事を差し引いても、自分が愚かに思えるほど私は月に溺れている。

手にグラスを持ち、部屋に戻った。ドアを開け、見た光景に脚が止まった。

「っ・・・」

赤い跡が散った体がベッドに全裸でしどけなく横たわり、瞳を閉じたその表情はうっとりと満たされたもの。それは全て、もう一度私のものだった。

「竜崎?」

立ち尽くす私に気づいた月がベッドに体を起こした。目蓋に隠されていた琥珀が私を写す。

「水を・・・」

これ以上、中身をこぼさないよう慎重に部屋を横切り、月にグラスを手渡した。よほど喉が乾いていたのか、月は一息に水を煽る。もういらないと、中身を残したグラスを手から抜き、サイドテーブルに置く。

「・・・入らないのか?」

月はベッドの右側に座り、左側を空けていた。かつてベッドを共有していた時に出来た習慣で、ベッドの右側が月、左側が私のものになっていた。空いた左側をちらりと視線を流した後、ベッドの横に立ったままの私を見上げる。

「少し作業が残っていますので」

「・・・僕が手伝える事か?」

「疲れている貴方の手を借りる程ではありません」

引き出しを勝手に開け、寝着を取り出し月に渡した。受け取った月は袖に腕を通すでもなく、寝着を膝の上に置き表面の布を撫でる。

「魅上さんの取調べは明日か?」

「その予定です」

「僕の同席を許して欲しい」

「・・・捜査本部の一員である貴方の同席を拒む事は出来ません」

それは本当ではない。認められないと月の要求を私は突っぱねることが出来た。だが、以前の様に被疑者としての月ではなく、同等としての立場になった今の月の、刑事として正当な要求を拒む事は出来なかった。

「ありがとう」

そう呟くと、月は寝着を広げた。着替えている間、月が小さく欠伸を漏らした。

「良く休んでください。忙しい一日でしたから」

「うん・・・」

左側に背を向け、ころりとベッドに横たわる。月の上に摘んだ布団を引き上げた。枕に埋もれた茶色の髪を撫でる。月の唇から小さな吐息が漏れた。

「すぐに片付けて、隣に潜り込みますので・・・」

「竜崎・・・」

テーブルのグラスを持ち、ドアに向かった私を止める、夢心地の月の声。

「明日の朝・・・オムレツ、作るから・・・」

「楽しみにしています。お休みなさい、月くん」

部屋の明かりを消し、ドアを静かに閉ざした。

月の部屋を出て、キッチンに向かった。月が間違えてグラスに残った水を飲んでしまわない様に、中身を捨てる。グラスも洗い流し、ラックに置いた。

眠りに落ちる寸前の月が、朝食の事を言い出したのには驚いた。無意識にでも感づいているのだろうか。

私が月に渡したグラスには、無味無臭の睡眠薬が水に混ぜられていた。昼間の緊張、それに情事の疲れも手伝って、月が朝まで目が覚める事はないだろう。

ポケットから携帯を取り出した。1コールもせずに繋がった通話に一言だけ話すと電話を切った

「ワタリ、車を頼む」

私がどれだけ彼に話せないことを積み重ねたとしても、私は月を失うつもりはない。

*** *** ***

深夜の廊下を歩く。入り口を守っていた刑事は相沢さんに席を外させた。監視カメラはワタリに任せたので、上手くやるだろう。

普段ならこんなに閑散としているはずがないが、キラと思われる被疑者を拘留するにあたり別の場所に移したのだろう。

「Lが何をしに来た・・・」

「お前に用はありません」

拘留所の檻の中、壁にもたれて座る魅上。その上に黒い死神が浮いていた。

「用があるのは死神の方、です。聞きたい事があります」

現れた私を見て、くくっと楽しげに笑っている。

『何だ?』

「ノートを使った人間に対し、ペナルティの様なものはありますか?」

月がいては聞けなかった質問を尋ねた。

『デスノートを使った人間は天国も地獄も見る事はない。そいつが見るのは無だけだ』

「お前がいくら阻止しようと、いずれ私はあの方のお傍に行く。それはLでも止められない」

歌うような自分自身の言葉に浸る魅上。死神に視線を戻した。

「その男に憑いて、と言いました。魅上が死ぬと貴方はどうなりますか?」

『所有権は俺に戻るから、憑く相手がいない。死神界に帰るしかないな』

「なるほど。・・・ところで、」

隠し持っていた林檎を取り出した。

『ウホッ!リンゴ!!』

林檎に目の色が変わった死神。奪おうとした手から林檎を隠した。

「死神は林檎しか食べない。・・・その通りの様ですね」

『なんだよ、くれないのかよ・・・』

空中の死神が脱力し、がくりと首を折る。

「別の場所に、もっと多くの林檎を用意させています。それを差し上げられなくもないですが・・・」

『死神と取引か?お前も図太いな。魅上の名前でも書けって言うのかよ』

「そんな事は望みません」

持っていた林檎を死神に放り投げた。キャッチした死神が嬉々として林檎を丸ごと口に放り込む。

『じゃあ、何だ?』

「再び人間界に戻らないと約束して頂ければ十分です」

*** *** ***

キラ事件は予想外の幕切れとなった。被疑者の魅上は逮捕から10日後、発狂の末、獄中死した。

取調べを行った刑事たちを、ある時はLだと食って掛かり、ある時は神だと跪いた。質問の意図を解さず的を得ない返事をするどころか、ひたすら歪んだ主張を繰り返した。そうして、魅上の言葉から証拠能力が失せ、今回のキラ事件だけでなくオリジナルキラに関しての供述証拠を得る事は出来なかった。

皮肉にも魅上が憎んだ犯罪者と同じような末路を彼は辿った。精神鑑定の末、責任能力があるとは言い難いと判断が下されたのだ。正気を失った彼からノートの在り処を聞き出すことが出来なかった捜査本部は、魅上が金庫を借りた形跡も見つけられず、壁財を剥がすほど徹底した家宅捜索にもノートを見つけ出すことが出来ず、そのうちに魅上は獄中で自ら命を絶った。

関係者には事件解決とは言い難い後味の悪さを残した。

捜査一課から情報課に戻った月は、目的達成のために着実に歩んでいた。数ヵ月後には日本警察の事件解決率は飛躍的に上がるだろう。

私は月に話した通り、日本に拠点を移した。再び始まった同居生活は、月と共に食卓を囲み、時折そこにメロやマットが加わり、たわいもない事に笑い、喧嘩をして過ぎていく。夜には同じ部屋に戻り、月を抱えて眠った。月の身体から私の跡が消えることはない。

愛していますと、繰り返す私の言葉に月から同じ言葉を聞くことはまだ出来ない。いつの日か聞けたらいいと願うが、言葉よりも雄弁に月の表情や仕草が想いを伝えてくれる。だから、私はそれだけで満足だった。

「だから、毎日ワタリさんを迎えに寄越さなくってもいいって」

「ですが・・・」

FBIから借りていたステファンは、事件解決後アメリカに戻った。ステファンの代わりにワタリを月の迎えに行かせているのだが、それが気に入らないらしい。いずれ警視総監となれば、移動の際には護衛を兼ねた送迎が行われる。それが早まっただけだと言っても月は頷かない。強情な月に苛立ち、唇を弄っていた指を噛んだ。

私を見る月の瞳が和らいだ。

「迎えがなくても、僕はお前の元に帰るよ?」

私の中で深く根を張った恐れは、現実になる事はなかった。

END

Author Note:

これにてL月団地妻のお題は完結となります。このシリーズには、サイドストーリーと後日談が1本ずつあります。

Author Note:

これにてL月団地妻のお題は完結となります。このシリーズには、サイドストーリーと後日談が1本ずつあります。

Author Note:これにてL月団地妻のお題は完結となります。このシリーズには、サイドストーリーと後日談が1本ずつあります。