Episode 04 運命の出会い-Fates

Rating : K

Spoilers : S1#1(非情の街 ラスベガス/Pilot), S2#15(残酷な悪戯/Burden of Proof), S3#17(憎しみのパズル/Crash and Burn), S5#22(主任失格/Weeping Willows)


Chapter 2

宣言通りキャサリンが犬を見に来たのはその数日後だった。前もって来ると連絡をしてくれたお陰で、グリッソムは見られては困る物を片付けておくことが出来た。ハンクが自分のベッドに持ち込んで噛んでいたサラの買ったばかりのスリッパは、離させるのに苦労したが、何とか奪い返してゴミ箱に捨てた。次に彼女が来るまでにまた買っておかなければ。
「まあ、本当に大きいのね」
犬を見るなり、キャサリンは驚いたように言った。信じていなかったのだろうか?
「初めまして、キャサリンよ」
キャサリンは笑顔で犬に近づいたが、犬はどこか警戒した様子で、首を低くしてキャサリンを見上げた。
横目でチラチラとグリッソムの方を何度も見てから、ようやく、ハンクはキャサリンが首を数回撫でるのを許した。
「8ヶ月?9ヶ月?」
「もうすぐ9ヶ月かな」
「どれくらい預かる予定なの?」
「飼い主が入院していて、退院するまでだ」
「なんで入院してるの?」
ハンクがキャサリンの側を離れ、自分のベッドに戻って丸くなってしまったので、仕方なくキャサリンは立ち上がってグリッソムを見た。
グリッソムは不思議そうにハンクを見ていた。サラにはすぐに心を許した様子だったのに、キャサリンにはあまり関心を持たなかったようだ。
彼にも趣味嗜好があるのか、あるいは、飼い主の心情にすでにリンクしているのだろうか?
一人小さく肩をすくめて、グリッソムはキャサリンに向き直った。
「階段で転んだとかで、骨折したそうだ」
「随分かかってるのね。大腿骨とか?」
「そんなとこだろう」
グリッソムはキッチンに向かいながら答えた。
「何か飲むか?」
「冷たいジュースちょうだい」
当たり前のように答え、キャサリンもグリッソムについてきた。そしてカウンターの椅子にストンと腰を下ろした。
「それで?相談と言ってたが?」
ジュースを注いだコップをキャサリンの前に置いて、グリッソムは静かに尋ねた。
キャサリンは無言でそのジュースを半分ほど勢いよく飲んだ。そしてふぅっと溜め息をついた。
「ちょっとね・・・」
キャサリンはブロンドの髪をかき上げた。
「あなたはもう、部下の評定、出した?」
ああ、とグリッソムは納得した。キャサリンが主任になって初めての、評定期間が始まっていた。
グリッソムはややおどけたように答えた。
「私がそんなに早く書類仕事を出来ると思うか?」
通達が来たのはまだ三日前だ。
キャサリンはそんなグリッソムに、軽く乾いた笑いを上げたが、直ぐに真顔に戻った。
「何て言うか・・・あなたの手伝いをしたことはあったけど、自分でゼロから評価するのって、結構難しいわね」
コップの縁を撫でながら言うキャサリンに、グリッソムは小さく頷いた。
「分かるよ。厳しすぎないか、逆に甘すぎないか、いつも不安だ」
「ええ」
キャサリンは少し俯いた。
「私、自分が失敗したばかりだから、なんだかそれを棚に上げて評価していいのかって気がしちゃって」
グリッソムが首を傾げるのを見て、キャサリンは眉を上げた。しかし何も言わなかった。彼が忘れてしまっているのなら、まあそれはそれで構わない。あんなに怒っていたのに、彼女の不祥事を覚えていないのは不思議ではあるが、ずっと根に持たれても癪だから、そっとしておこう。思い出させることもない。
「君らしくないな」
グリッソムはそれだけ言って、自分のコップを傾けた。
「厳しくしすぎて、ウォリックとニックから恨まれたくないし、でも甘くしすぎて舐められたくないし・・・」
キャサリンは呟くように言って、溜め息をついた。グリッソムは何も言わなかった。具体的にはアドバイス出来るような事柄ではない。
それに、グリッソム自身も、実は頭を悩ませていたのだ。特に、ある一人の部下について。彼女に対して、身びいきから甘くなりすぎないように注意したいが、その反動で厳しくなりすぎている気もして、実は何度も評定を書いてはやり直していたのだ。
こういう難しさがあることはもちろん覚悟はしていたことだが、いざ向き合うと、想像以上にデリケートな問題だと身にしみた。
「君自身は他人の評価に振り回されることはないだろう」
ふとグリッソムがそう言うと、キャサリンは怪訝そうに顔を上げた。
「あの二人だって、君がどういう評価をしても、今更揺らぐようなことはないだろう」
「私の評価なんて関係ないって事?」
意外そうにキャサリンは目を丸くした。
「仕事をやっていく上では影響は少ないだろう、と言うことだ」
肩をすくめるグリッソムに、キャサリンは少し上目遣いで考えてから、鼻に皺を寄せた。
「あなたらしい言い草ね」
部下に好かれようと嫌われようと、関係ない。グリッソムはそう達観しているのだろうと、キャサリンは考えた。
キャサリンが気にしているのは、親しい間柄の二人と、上司と部下という関係以外のところでの人間関係が、ギクシャクすることだった。
主任のポストを受けたときから、親しい友人としての関係は比重を下げなければならないことは分かってはいたし、そう努力しているところだったが、実のところ、キャサリンは少し淋しかった。ニックとウォリックが、食事や飲みに行くのに、最近ではほとんどキャサリンを誘うこともなくなった。キャサリンもまた、二人が誘い合っているところに、割り込んで便乗しようとすることも極力しないようにしていた。上司と部下として、線を引こうと努力していたのだ。だから一人でバーに出かけ、ナンパされてあんな失態を犯した。
もし、キャサリンがこの時、グリッソムが彼女とは真逆の努力をしていると、越えてしまった上司と部下の一線を、どう取り繕うかに頭を悩ませていると知ったら、もう少し気楽になれただろう。
キャサリンは何度か小さく溜め息をついて、首を勢いよく振った。
「ま、なんとかするわ」
それからグリッソムの方を見て聞いた。
「最近、サラとはどう?」
グリッソムは思わず飲んでいたオレンジジュースを噴き出しそうになった。
「・・・サラ?なぜ??」
小さくむせているグリッソムを、キャサリンは怪訝そうに見た。
「だってあなたたちって、しょっちゅう喧嘩してるじゃない」
「・・・別に喧嘩はしてない」
たまにはしてるが、仕事には持ち込んでないはずだった。
「でも時々ピリピリしてたし。ほら、覚えてる?サラが辞める!FBIに行く!て騒いだとき」
「あ、ああ・・・」
グリッソムは深呼吸をした。
「そういえば、あれ、どうやってサラを説得したの?確か花かなんか贈ったのよね、それで?」
グリッソムは顎をしごいた。それだけだった。
「それだけだ」
キャサリンは口をあんぐり開けた。
「それだけ?たったそれだけで、サラはFBI行きを諦めたの?」
グリッソムは曖昧に笑った。
花を贈った翌日、サラは無言でオフィスに入ってきて、グリッソムの机から、自分が置いていった休職願を抜き取ると、そのまま黙って出て行った。そしてその日の帰り際に、ロッカールームで「花、ありがと」と顔も見ずにポツリと言われただけだった。
それだけだった。
「グリッソムより」とだけ書いたカードに、彼女は何を思ったのだろう。今度聞いてみようか?と彼が思い巡らせているのを、キャサリンの言葉が引き戻した。
「よっぽど感動的なメッセージを送ったのね?」
グリッソムはもう一度曖昧に笑った。
「我が儘な部下に振り回されるあなたも、チャーミングではあるけど」
キャサリンはふと話題を変えた。それを聞いたグリッソムは、「君も私を振り回してきた一人だ」と喉まで出かかったが、幸いにも飲み込むことが出来た。
「そろそろ、彼女でも作ったら?」
「余計なお世話だ」
今度は一瞬の間も置かず、思ったことが口をついて出た。
その時のグリッソムは、それ以上キャサリンに根掘り葉掘り探られたくなくて、どう切り抜けようかと思って顔をしかめたのだが、その表情を、キャサリンは別の意味に誤解したようだった。
「そうよね、あなたはそういう触れ合いを求めないんだったわね」
投げやりに、皮肉めいてかけられた言葉に、グリッソムは再び首を傾げた。そしてようやく、先日キャサリンが殺人事件の容疑者にバーでナンパされたことを黙っていてトラブルになりかけたことを思い出した。
「刹那的な出会いは、要らないと言ったんだ」
グリッソムはまるで誰かに言い訳をするかのように口の中で呟いた。
「そういう出会いから本物の恋愛になるかもしれないじゃない」
キャサリンの言い分に、しかしグリッソムは苦笑して首を振った。
「もうそんな年じゃないよ」
きっとサラが聞いていたらムッとするだろうなと思いながら、グリッソムは言った。彼が年齢のことで自虐的に何かを言うと、サラは決まって機嫌が悪くなるのだった。いや、しかし、他の女を口説くことはないと言っているのだから不機嫌になることもないか。
「昔はラボの女の子とか口説いてたじゃない。あの子、何て言ったっけ。・・・シャーロット?」
いたなあ、そんな子、とグリッソムはぼんやり考えた。視界の先で、ハンクが後ろ足を上げてポリポリと首元を掻くのが見えた。ああして掻いているとき、口元が変な形に横に伸びるのを見て、サラはケラケラ笑うのだった。
「なんであの子とは駄目だったの?」
グリッソムはさすがにイラつきながらキャサリンを見た。
「もう忘れたよ」
「ヘザーは?何かあったんでしょ?」
グリッソムはげんなりした。
「何も無いよ」
「嘘よ。ビンビン何か感じてたじゃないの」
「・・・何も無いよ」
首を横に振って答えながら、グリッソムは椅子から立ち上がった。
「さて、用事が済んだのなら、そろそろ帰って休んだらどうかな?」
自分とキャサリンのコップを両手に持って、キッチンを回り込む。シンクに置いた。
「そうねえ」
キャサリンはスツールを左右に揺らした。ちらりと腕時計を見て、
「リンゼイが帰ってくるし、そろそろ帰るか」
そう言いながら立ち上がった。
「そうだ」
しかし出口に向かって歩き始めた第一歩を止めて、キャサリンは勢いよく振り向いた。見送るため後ろからついて行こうとしていたグリッソムは危うくぶつかるところだった。
「何て名前なの?あの子」
キャサリンが指差す方向を見て、グリッソムは口を開き掛けたのを思わず閉じた。
しかし、彼がその名前にジレンマを感じていることなど、キャサリンに感づかれるわけには行かない。そう思い直して、グリッソムはなるべく冷静を装って言った。
「ハンクだ」
彼の努力が成功したのかどうかは分からないが、キャサリンは案の定目を見開いてグリッソムをマジマジと見た。
「どうかしたか?」
グリッソムはわざとらしく尋ねた。
キャサリンはぷっと噴き出して言った。
「サラには言わない方がいいかも」
グリッソムはわざとらしく肩をすくめた。
「なぜ?」
「だって・・・知ってるでしょ、あの救急隊員とどうなったか」
グリッソムはやや俯いた。どう答えようか迷ったが、正直に言うことにした。
「噂は、聞いた」
キャサリンは何か窺うようにグリッソムを眺めたが、ふと視線を外すと遠い目をした。
「あの時のサラ、可哀想でね。見てるのいたたまれなくて。つい、慰めちゃったわ」
「・・・君が?」
少々驚いてグリッソムは首を傾けた。「彼」の話はほとんどサラとしないから、あの時何があったか、実はグリッソムは詳しくは知らないのだった。ただ、あの優男に本当は婚約者がいた、ということだけ聞いたのだったが、彼にはそれだけでも充分だった。
「飲みに誘ったの。酔い潰れるまで飲んでいいわよ、奢るからって」
そう言ってキャサリンは小さく思い出し笑いをした。
「あんなにサラと喋ったのは初めてだったわね、そう言えば」
二人で酔っ払って「男なんて!」と愚痴を言い合った。あの救急隊員とどこまでの関係だったのかは、キャサリンは突っ込んでは聞かなかった。ただ愚痴を言って何も否定せずサラに言わせたいままにした。ああいう時には、ただ聞いてあげる耳が必要なのだ。
グリッソムが自分を何か考えるように見ているのに気付いて、キャサリンは肩をすくめた。
「特に何を話したってわけじゃないのよ。ただ、男全般に対して、毒を吐き合っただけ」
グリッソムは両方の眉をぴくりを上げたが、コメントはしないことにした。
それからまたキャサリンが思い出したように
「あ」
と声を上げた。
「あの時、ウォリックとニックがしたこと、聞いた?」
何のことだ、とグリッソムが問い掛けたとき、キャサリンの携帯電話が鳴った。
「おっと」
テキストメールをさっと読んで、キャサリンは電話を閉じた。
「行かなきゃ。またね」
グリッソムに向かって微笑んで、それからキャサリンは犬のハンクに向かって手を振った。
「またね、ハンク」
ハンクはむくりと顔を上げて、数秒考えた後、尻尾をゆらりと揺らした。そして、また頭を落とした。
「随分おっとりした子ね?子犬だって言うから、もうちょっとやんちゃなのかと思ってたわ」
玄関のドアに向かって歩きながら、キャサリンが言った。
「もう少し元気なときはあるが・・・」
特にサラがいると、と言いかけて、グリッソムは慌てて言葉を飲み込んだ。危ない、危ない。そしてさっきキャサリンに何か聞きかけたことを思い出したが、何を聞こうとしたのか分からなかった。
まあいいか、と思いながら、グリッソムはキャサリンのためにドアを開けた。
「それじゃ、おやすみ、キャサリン」
「おやすみ、ギル」
キャサリンはちらりとウィンクをし、去って行った。

グリッソムの元に一本の悩ましい「連絡」が入ってきたのはその数時間後だった。
ラボへ出勤する直前に、その一報を受け取った彼は、文字通り頭を抱え込んでしまった。ひとまずハンクをペットシッターへ連れて行き、そこで何となく相談だけして、ラボへ向かった。
「どうかしたの?」
シフト開始のミーティングを終えてオフィスに戻ったとき、グリッソムはそう話しかけられて驚いたように振り返った。
サラが会議室から着いてきていたことに気付いていなかったのだ。
「ああ、サラ・・・」
グリッソムはちらりと彼女の肩越しに廊下を見やり、それからドアを閉めた。
「実はちょっと、困ったことになってな・・・」
溜め息をつきながら、グリッソムは机に向かうと椅子に座った。
「困ったこと?」
サラは机にお尻を半分乗せて寄り掛かるようにしながら、グリッソムの方に身体をねじって向けた。
グリッソムは眉間を指でしごいてから、口を開いた。
「さっき出がけに、母から連絡があって」
サラの眉がさっと寄った。
「お母さんに、何か?」
グリッソムはサラの心配そうな顔を見て、慌てて小さく手を振った。
「いや、母は元気だ」
「そう」
サラはほっと小さく息をついた。
「ハンクの飼い主の女性が、病院で亡くなったそうだ」
「え?」
サラが小さく息を飲む。瞬きの回数が増えて、彼女が高速で何かを考えているのが分かる。
「怪我で、入院してたんでしょ?」
「そうだ。だが、入院中に心筋発作を起こしたらしい」
「そう・・・」
サラは両腕を組んで俯いた。
グリッソムは再び指で眉間をしごいた。
「さっきシッターに、そういうわけで、里親探しをしなければならないから、つてがあれば教えて欲しいと伝えておいたよ」
サラの顔が勢いよく上がった。口を開いて、だがサラは何も言わずに口を閉じた。
「そう・・・よね」
ずっとは飼えないよね、と淋しそうにその言葉が口の中に消えた。
グリッソムは思わず唇を噛んだ。
彼女がそういう表情をするだろう事は想像していたが、予想以上にそれを見るのは胸が痛んだ。
サラはしばらく、腕を組んで俯いたまま黙っていたが、やがて体を机から起こすと、
「・・・仕事してくる」
小さな声で言って、オフィスを去って行った。
グリッソムの口から、思わず大きな溜め息が漏れた。

数日後のデートで彼女の部屋へ行ったとき、サラは口数が少なかった。時々、空元気で何か話し始めるのだが、それは続かず直ぐにまた黙り込んでしまった。
サラが犬のハンクのことで、何か言いたいのをこらえているのが、グリッソムには手を取るように分かった。
サラはハンクと、もう離れがたいのだ。ハンクとじゃれているときに見せる無邪気な笑顔は、グリッソムにとっても、代え難いものになっていたから、それを失うのは心苦しかった。
しかし現実問題として、この仕事をしながら、犬の一生涯を引き受けられるか、自信は無かった。
不規則な生活、もうじき50歳という彼の年齢、大型犬という問題。
サラがいてくれればかなりの部分で助けにはなるだろうし、もちろんサラもそのつもりだろう。だが。
大型犬であれば、寿命はおよそ10年ほど。10年後に、介護が必要になったときに、もし彼が独り身だったら。果たして、35kgを超える巨体を彼一人で介護出来るだろうか?シッターなどの力を借りるにしても、あまりにも無責任に手放すようなことは考えられない。
最後までこの犬の命を預かることを、その責任を全うする覚悟がなければ、簡単には飼うという決断は出来ない。
しかし、もしサラと付き合っていなければ、彼は全く悩まずに、里親探しを始めているだろう。そもそも、犬を預かるなどという事態にもなってはいなかったはずだ。
サラが犬好きだから・・・彼女が喜ぶだろうと思ったから。だから彼はハンクを預かることに同意したのだ。勿論そこには、「一時的なことだから」という安易な気持ちがあったのは確かだ。
しかし今それを悔やんでも仕方あるまい。
グリッソムはソファで本を読んでいたが、そんなことを考えながらだったので、あまり内容は頭に入ってきてはいなかった。
「何読んでるの?」
シャワーから戻ったサラが、隣にあぐらを掻いて座りながら、グリッソムの手元を覗き込んだ。
「・・・犬の躾の本?」
怪訝そうに言った後で、サラはハッとしたようにグリッソムの顔を見た。その瞳が輝き出すのを見て、グリッソムは慌てて言った。
「ちゃんと勉強をしてから決めても、遅くないかと思っただけだ」
飼うことに決めたわけではないと悟って、サラは明らかにがっかりした。しかし言葉に出しては何も言わなかった。
ハンクを飼うのはあくまでもグリッソムなのだ。彼女がお願い出来る立場ではないことは重々承知していた。だから、「里親をたらい回しにしないで」と訴えることは卑怯だと、サラにも分かっていた。
サラは黙ったまま、グリッソムの首筋に伸びた髪の毛をくるくると指に巻いていじった。それからふと、コーヒーテーブルの上に目をやった。そこに積まれた本に手を伸ばす。
「・・・犬の介護。・・・犬の友。犬のきもち」
やや古めの教科書のような本と、易しめの躾入門書。そして可愛い写真満載の雑誌。それを手に取ってサラは思わずニヤリと笑った。
「グリッソム博士が、今度は犬の研究でも始めたのかと、みんな思うんじゃない?」
「そっちの分野は先人がたくさんいるからな。勉強することはたくさんある」
「犬語の研究を真面目にしている人もいるくらいだもんね」
そう言って笑いながら、サラは雑誌をパラパラとめくった。ただ、小型犬を飾り立てた写真集のような本は、サラには少しテイストが合わなかった。
「ボクサー犬の本はないの?」
「ネットで注文した」
「そう」
それきり、サラはまた黙って本をめくっていた。
グリッソムは眼鏡の隙間からそんなサラをしばらく観察していたが、やがて本を閉じて話しかけた。
「サラ」
「ん?」
サラはもぞもぞと身動ぎをして身体を寄せてくると、グリッソムの肩に頭を乗せた。
「・・・ハンクを、どうしたい?」
グリッソムの問いに、数秒の間、サラは黙っていた。やがて溜め息をついて体を起こすと、グリッソムの目を覗き込んだ。
「あたしには、決められない」
そう言って唇を噛む。
「責任を引き受けるのは、あなただもの。・・・無責任なことは、言えない」
俯いたサラの手を、グリッソムはそっと握った。
「君は律儀だな」
「・・・無責任なことを言いたくないだけ」
「本当は言いたいだろう?」
うーん、とサラは軽く唸った。
「そりゃ、あるけど。でも、言わない」
グリッソムは小さく頷いた。そういうところが、彼女らしい。
「もし、ハンクを里親に引き渡しても、怒らないか?」
彼女の指を撫でながら、グリッソムは尋ねた。
「怒ったりしないわよ」
すでに怒ったように目を吊り上げて、サラは答えた。
「私を責めない?」
サラは首を横に振った。
「責めたりするわけないじゃない」
言ってから、サラはふと目元を緩め、グリッソムの頬に腕を伸ばした。
「あなたの決めたことなら、頑張って受け入れる」
彼女が指でそっと彼の頬を撫でるのを、グリッソムは目を閉じて感じた。
「そうか。・・・分かった」
半分違う意味で溜め息をついて、グリッソムはゆっくり目を開けた。
僅かに首を傾けたサラの顔が、目の前にあった。
無言で見つめ合った後、二人の顔はどちらからとも無く近寄っていった。
彼女のアパートにいる間は、犬に邪魔される心配はない。シッターに預けて寂しい思いをさせているかも知れないという僅かな後ろめたさを感じないこともなかったが、それでも二人は「二人だけ」の時間を、そのあとたっぷり楽しんだ。


Continue to next chapter.

AN2 : S5#10(子供たちの戦場 /No Humans Involved) で、ウォリック、ニック、グレッグが休憩室で和気藹々としているのを、少し寂しそうに見 ていたキャサリンを思い出して前半部分は書きました。キャサリンはどこかで犬のハンクのことを知っておく必要があったので登場させました。 キャサリンが評定で悩んだりするかな?とも思ったのですが、グリッソム側の悩みと対比させたかったので、こうなりました。「らしくない」と 感じたらすみません。途中でキャサリンが言っている「シャーロット」は、S1#1 でグリッソムいちゃついていたラボ技術官の女性です。グリッソム、振られてたけど(笑)