Episode 04 運命の出会い-Fates

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Chapter 3

ハンクの里親探しは1ヶ月近くに及んでいたが、進展はなかった。仕事の間預けているペットシッターに頼んで、いろんなボランティアや保護団体、インターネットの登録サイトなどに登録して貰ったが、大型犬で1歳間近ということもあり、なかなか引き取り手は見つからなかった。やはり人気は小型犬、そして子犬なのだった。
グリッソムは自宅のソファで足を伸ばして寛ぎながら、部屋の中を気ままにウロウロ歩いているハンクを眺めていた。
やがてハンクは飽きたのか、ソファまでやってくると、向き合うようにしてお座りをした。そしてグリッソムを見つめ、何か問うかのように小首を傾げた。
グリッソムはじっとその黒目を見つめた。
ハンクは前脚を片方上げると、グリッソムの腕を軽く引っ掻くような仕草をした。
「なんだ?腹でも減ったか?」
ハンクはまるで「違う」とでも言いたげに、頭をブルブルと振った。そしてまた、前脚を上げ、グリッソムの腕に乗せた。
「サラの方が、君の言いたいことは分かるんだがな」
溜め息をつきながら、グリッソムはやれやれと体を起こした。
ハンクが何かを期待したのか、立ち上がって尻尾を勢いよく振り始めた。
「餌か?散歩か?」
ハンクは耳をピンと立てて、首を右に傾けた後、左に傾け、そしてまた右に傾けた。
「・・・散歩か?」
その瞬間、ハンクは「ワン!」と吠えて、ぴょんぴょんとその場で跳ねるようにぐるりと一回りした。
「散歩か」
グリッソムが呟くと、ハンクは小走りでどこかへ消えた。そして直ぐに戻ってきた。
その口にくわえた物を見て、グリッソムは思わず笑った。
「サラにそんなことを仕込まれたのか?」
頭をぐりぐりと撫でてやる。ハンクは嬉しそうに耳を倒し、尻尾をますます勢いよく振った。
「分かった、散歩に行こう」
ハンクの口からリードを取って、そう言いながらグリッソムは立ち上がった。ハンクは何度も吠えながら、廊下を走って行ってしまった。玄関前で彼を呼ぶようにまた吠えている。
ハンクの首輪にリードを繋ぎながら、グリッソムは犬に向かって話しかけた。
「いいか、私はサラみたいに走れないからな?ゆっくりで、頼むよ?」
ハンクは分かったのか分からないのか、「ワン」と吠えて返事をして、そして玄関のドアに向かって立ち上がると、両前脚で激しく引っ掻き始めた。
「分かった分かった」
興奮した犬を宥めながら、ドアを開け、グリッソムは揚々と散歩に出かけていった。

散歩から戻り、グリッソムは軽く食事を作って食べ、シャワーを浴びて寝室へ向かった。ハンクがトロトロと後ろを着いてきた。
グリッソムがカバーをめくって入ると、ハンクはベッドの側でウロウロとしながら、何か言いたげにグリッソムを見上げてきた。
その丸い黒目を、しばらくグリッソムは思案しながら見つめていたが、やがて観念した。
「いいよ、おいで」
カバーの上をグリッソムがパタパタと叩いて言うと、ハンクはその上にピョンと飛び乗った。サラが寝ている側へ歩いて行き、辺りに鼻を近づけてクンクンと嗅いだ後、カバーを脚で掘り始める。
グリッソムは横向きになりながら、サラが使っている枕に鼻を寄せた。大きく息を吸い込むと、彼女の匂いが、彼女のお気に入りのシャンプーの匂いがした。
そしてふと目を開けると、ハンクが見下ろす目と出会った。
思わずグリッソムは笑った。
「犬と同じ事をしてるのか、私は」
クツクツと笑いながら、グリッソムはハンクの首に手を伸ばした。
「さ、おやすみ」
首元を軽く叩いてやると、ハンクはぐるぐるとその場を回り始め、ちょうどグリッソムの顔と向き合う位置で座り込みながら丸くなった。大きな欠伸を1つして、後ろ足の間に鼻を挟む。
グリッソムもそのままウトウトとまどろみ始めた。

携帯電話が鳴る音に、グリッソムは唸りながら腕を伸ばした。寝惚け眼で携帯電話を探し当て、応答する。
「グリッソム」
「グリッソムさん、ジェフです」
いつもハンクを預けているペットシッターだった。
グリッソムは仰向けになりながら目をこすった。
「やあ」
「ハンクを見てみたいという人がいるんですが、どうします?」
シッターのジェフは、それとなくハンクはグリッソムが飼った方がいいと勧めていたので、その言葉はやや消極的に聞こえたが、それでもちゃんと連絡してくれる辺りは、誠実と言える。
「そうだな・・・」
呟いてから、グリッソムはそんな自分に驚いていた。本当にどうするか迷っていることに気付いたからだ。
悩んだとしても、最終的には自分はハンクを手放す決断をするだろうと、何となく彼自身は思っていた。しかし・・・。
「どんな人たちだ?」
「20代の若い夫婦です」
随分若いな、とグリッソムは思った。
「子供はいるのか?」
「いえ、まだのようです」
だとすると、これから子供が出来たときに、ハンクはいい子守になるだろうか。加減を知らない子供に、いじめられたりしないだろうか。あるいは夫婦が子供の世話で精一杯になって、捨ててしまったり、また他の家庭に譲ってしまったりしないだろうか?
グリッソムは唇を吸いながら考え込んだ。そうしながら、グリッソムは自分の指が無意識に何かを撫でているのに気付いた。その温かな毛並みに視線を滑らせ、グリッソムは思わず微笑んだ。
ハンクは何か夢を見ているのだろうか、筋肉がピクピクと動いていた。喉を鳴らしている。水でも飲んでいる夢だろうか?
「グリッソムさん?聞いてます?」
電話の向こうの声に、グリッソムは我に返った。
「ああ、えーと、じゃあ・・・いくつか日程の候補を挙げてもらえるかな。連れて行ける日を調整するよ」
慌ててそう言い、ジェフの返答を待って、グリッソムは電話を切った。
例え若くても。将来どうなるか分からなくても。
少なくとも、中年の独身男性と一生を過ごすよりは、きっと犬も幸せのはずだ。
そう思いながら、なぜか胸の詰まるような感じがして、グリッソムはしばらくハンクの頭を撫でていた。

******

その日のシフト中、休憩室でサラが一人でいるのを見計らって、グリッソムはハンクの里親候補が現れたことを告げた。
サラはみるみるうちに表情を曇らせ、唇を噛んで俯いてしまい、その後口をきいてくれなかった。
怒らないと言ったのに、と少々傷付きながら、それでも、彼女が余計なことを言わないために敢えて口を噤んでいるのだと思って、グリッソムは我慢することにした。
シフトが明けて、ハンクを迎えに行くとき、グリッソムはサラを誘ってみたが、彼女は悲しそうに首を振って、一人で帰ってしまった。仕方なく、グリッソムは一人でペットシッターの元へ向かった。
犬舎に着くと、ジェフがトレーニングを終えてハンクを休ませているところだった。息を弾ませながら、ジェフはグリッソムに声を上げた。
「おはようございます、グリッソムさん」
「おはよう、ジェフ」
ハンクがグリッソムに気付いて、ぴょんぴょんと跳ね回りながら、ジェフを引っ張るようにして走ってきた。
グリッソムは自分が破顔していることにも気付かず、腰を下ろしてそんなハンクを迎えて身体を撫でてやった。
「いい子にしてたか?ん?」
ハンクは必死にグリッソムの顔を舐め回した。
「この後お時間あります?」
汗を拭いながら、ジェフが尋ねてきた。グリッソムは立ち上がってジェフを見た。
「何かあるのか?」
「例の夫婦が、あと15分ほどでこちらに来るはずなんです」
グリッソムはしばらく言葉がなかった。
そんな急に、心の準備が、と思ったが、言葉にならなかったのだ。
「あー、まあ、無いことはない」
「良かった」
ほっと一息をついて、ジェフはそれからグリッソムを事務所に誘った。

事務所でコーヒーを飲み始めて直ぐに、夫妻がやってきた。
「グリッソムさん、こちらパットン夫妻です」
ジェフが夫妻をグリッソムに紹介した。
「パットンさん、こちらがグリッソム博士です」
「初めまして、グリッソム博士」
「グリッソムでいいですよ。初めまして」
グリッソムは夫妻と握手を交わした。
二人とも、感じの良さそうなアジア系の夫婦だった。体が二人とも大きいので、何かスポーツをしているのかも知れない。
その時、事務所の床に寝そべっていたハンクが、うなり声を上げながら立ち上がった。
「ハンク?」
グリッソムが振り返るより早く、ジェフはハンクのリードを素早く握りしめていた。
ジェフが警戒したのは正しかった。
ハンクは突然、夫妻に向かって激しく吠え始めたのだ。
「ハンク、ストップ!」
グリッソムとジェフの号令が同時にかかり、ハンクは一瞬動きを止めた。
「ハンク、ダウン!」
続けざまに命じたのはジェフだった。さすがはトレーナー資格も持つプロだ。
しかしハンクは、首を下げてうなり声を上げるのをやめなかった。
「第一印象、悪いみたいですねえ」
苦笑しながら、パットン夫妻は顔を見合わせた。
グリッソムは申し訳なさそうに二人の顔を見た。
「普段はこんなに、吠えないんですが・・・」
あまり攻撃的なところをグリッソムも見たことがなかったので、実は彼も驚いていたのだ。
「今日はひとまず、ここまでにしておきましょう」
言ったのはジェフだった。
「この状態から、仲良くなれる事って、あるんですか?」
パットン氏がジェフに尋ねた。だいぶ懐疑的になっているようだった。
「回を重ねれば、あるいは・・・そういうことも、あるかも知れませんが・・・」
ジェフの言葉は歯切れが悪かった。
夫妻は顔を見合わせて、そして溜め息をついた。
「今回はちょっと・・・諦めます」
パットン氏の言葉に、なぜかグリッソムは安堵している自分に気付いた。
「そうですね・・・」
ジェフも翻意を促そうとする気配はなかった。
パットン夫妻はもう一度お互いに顔を見合わせて頷き合うと、簡単にグリッソムとジェフに挨拶をして去って行った。
静かになったオフィスで、グリッソムはしばらくハンクを見ていた。
ハンクはしばらく鼻息荒くウロウロと短い距離を往復していたが、やがて座り込むと、自分の脚を舐め始めた。
それは時々、グリッソムやサラが強く叱ったときに、犬用ベッドに丸まってたまにやっている仕草だった。サラは「いじけているみたい」と言って苦笑していたが、なるほど、ストレスに対する反応なのかも知れないとグリッソムは考えた。
「グリッソムさん」
不意に話しかけられて、グリッソムは僅かに驚いたように顔を上げた。
「ハンクを飼うこと、やっぱり考えられませんか?」
ジェフが慎重に口を開いた。
「ハンクはあなたにも、サラさんにも、とても懐いていますし・・・ご覧の通り、ハンクは性格は穏やかな方ではありますが、誰にでも心を許すわけでもないんです」
グリッソムは小さく息を吐いた。キャサリンには素っ気なかったハンクの態度を思い返していた。
「検討してみては、いるんだが・・・」
「お二人に直ぐに馴れたというのも、運命的だと思うんですよね」
ジェフはちらりとグリッソムを見て直ぐに視線を外した。グリッソムは科学者なので、運命などといった感傷的な言葉は好まないだろうと思ったのだ。
だが、グリッソムは意外なことに深刻そうな顔をして考え込んでいた。
ジェフはそれ以上は何も言わず、ハンクを落ち着かせるように撫でていた。
事務所の電話が鳴ったのを契機に、グリッソムは彼に挨拶を残し、ハンクを連れて帰っていった。

運命か、と車を運転しながらグリッソムは思った。
後部座席で寛いでいるハンクを、ルームミラー越しに見る。ハンクは座席の上で伏せ、伸ばした前脚の上に顎を乗せて寛いでいた。
自宅前に近づいたとき、グリッソムは別の車が停まっていることに気付いた。
静かに車を停め、エンジンを切る。
グリッソムはその車に寄り掛かっている人影を運転席からじっと見つめた。

出会ってしまった運命。
それを呪い、認めず、拒否し、抗い続け、しかし諦めきれずに手繰り寄せた彼の運命が、確かに、そこにいた。
彼が運命に抵抗を続けた間、彼女を傷付け続けた。彼がもっと早く運命を受け入れられていたら、きっと素晴らしい日々が待っていただろう。今実際にそんな日々を手に入れて、なぜあんなにも彼女を手に入れることを足踏みし続けたのだろうかと、なぜあんなにも恐れていたのだろうかと、今となっては後悔ばかりが募る。
彼がもっと早く素直になれていたら・・・

グリッソムはシートベルトを外し、後部座席を振り返った。ハンクは起き上がって、かしこまったように座席の上にお座りをしていた。
そのつぶらな2つの黒い瞳と、グリッソムの青い瞳が出会った。

・・・出会ってしまった運命。1つは、受け入れるまでに時間を掛けてしまった。その間に味わえるはずだった幸福な時間を、取り戻すことは、もう二度と、出来ない。

一度くらい、素直に従ってみるか。

グリッソムはハンクの頭を軽く撫でてから、運転席のドアを開いた。
気付いた彼女が体を起こし、彼に向かって小さく手を振った。はにかんだ笑顔は、いつも彼の胸に甘い疼きを呼び起こした。甘美なときめきに、グリッソムは自然に顔がほころんだ。
ハンクを車から降ろし、彼女と家に入る。

リビングルームで彼の決断を伝えたとき、彼女は顔中を笑顔にして彼に抱きついてきた。そして彼の顔にキスの嵐を浴びせた。それだけで、彼はその決断をして良かったと心から思った。名前を変えようかと控えめに提案したときは、「名前に罪はない」と一蹴されたが、そんなことも気にはならなかったのだった。

そしてハンクは、彼の家族になった。
決して手放すまいと誓った、その手を、どうしても一度、離さざるを得なかったとき、彼の心の隙間に、ただ無言で寄り添い、癒してくれたのは、彼の存在だった。
その彼の最期を看取れなかったことが、永遠の愛を誓ったはずの二人の関係にも、暗い影を落とす一因になるのだが、それはまだ遠い未来の話である。


End.

AN2 : というわけで、「名前を変えられない事情があった」のでハンクのままになった、というのが私の妄想です。
ハンクの仕草などは自分の愛犬を観察した物です。犬って可愛いですホントに。ちなみに、ボクサー犬は断尾することもあるので、録画を見返して尻尾があるか確認しました。ちなみにあの犬は、グリッソム役のウィリアム・ピーターセンの飼い犬だったそうですね。